蒼穹のファフナーと自分
○○と自分って書いてる作品は今の自分を構成するうえで欠かせなかったと感じる作品なんだけれど、そのなかでも蒼穹のファフナーは苦しさを乗り越える糧だと思う。
最初蒼穹のファフナーに触れたとき俺は「つまんないエヴァじゃん」って思っていたんだけれど、それは一期で一騎がマークザインを手にするあたりからガラッと変わった。
その後も楽しく見ていたんだけれど、なんと大学一年の暮れ頃に2期をやるとなったのでバイトの給料を使って劇場版のBlu-rayを購入して二期に備えたりした。
でその二期「蒼穹のファフナー EXODUS」は2015年の1月〜4月頭(冬アニメというやつ)、10月〜12月(秋アニメというやつ)にやったアニメで、時間が金曜の深夜26:25〜と遅い時間だったけれど、その頃俺はバイトで帰ってくるのも遅かったので日付が変わる前に帰宅してご飯を食べて風呂に入ったりしているとちょうど1日の終わりとして見られる(1クール目はその前にGレコをやってたのでさらに都合が良かった)。
それで、なんでこのアニメが苦しさを乗り越える糧になったのかなんだけれど、あの頃はとにかくひたすらに新しい環境に慣れることに必死だった。
やるべきことも多くあったし、やりたいことも負けないぐらいあった。
今にして思えばあの頃は俺にとって今後生存できるかの節目だったんだ。
あの頃頑張ったから大学卒業できて、社会経験も積めた。
高校まではただアニメとか漫画とかゲームとかコンテンツ消費マシーン以外になれなかったけど、大学入ってからは違った。
受験期よりちゃんと勉強してたしね(やりたくて受講してるものばっかりなのでそんなに苦ではない、結構楽しかった)。
そうしてこれまでよりマシになれたのはなんと言っても今までと違う人間関係を築けたからに他ならない。
高校までの友人は、まぁそりゃそうだろって話だけれど同級生しかいない(帰宅部なので、特に仲のいい先生とかもいない これは本当に後悔してる)。
大学に入ってからは同級生と、サークルでは先輩や後輩と、バイトでは自分の倍以上生きてるような人とも日常的に関わりを持つようになった。
この経験が俺を著しく成長させてくれたのは間違いないけれど、やっぱり慣れないことは疲れるもので、拠り所を求めていた。
俺が明日を生きるための道標、生き方を踏み外さないための命綱、そして何より楽しい。
本当はそういうのを自分の中に持っていたり、他人に求められればそれが一番いいんだけどどうもそういうの苦手で。
履歴書に自分のいいところなんて書きたくないしそんなこと考えたくないし、なんなら上手いこと使い潰してくれれば楽なのにみんな優しくて、そんな世界がなんだかんだ結構好きなんだなって思う。
そう思えたのはきっとファフナーのおかげなんだ。
生きていたいのも俺だし死んでしまいたいのも俺だ。
愛おしく思うのも憎らしく思うのも全部全部俺だ。
そしてそんな俺が生きている世界があって、そこには嫌なことも酷い奴もたくさん存在してて、でもやっぱり美しいものがあって優しい人がいて俺はそれを否定したくないって思った。
そうやって世界の好きなところを見つけて生きていきたいって思えるようになった。
その考えを後押ししてくれていたものの一つがファフナーだった。
あなたはどう世界を祝福するの?
その言葉が胸にある限りは、世界を好きだって言える。
そんな気がする。
そうしていたい。