俺が言ってるのは幻覚かもしれんけど新海誠作品に人の輝きは確かにあったと思う。
君があの時失ったものはもう返ってこないがそれでもそこからの12年間は輝いていた。
大切な人がたくさんできたよ。
貴女を好きになってくれる人がたくさんいたよ。
君は光の中で大人になっていく、それは決まっているんだ。
ああ───それはなんて待ち遠しい、希望に満ちた──────
「『すずめの戸締まり』の話」をします。
だから気に入ったって言え。
2022年11月11日、新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』が公開されたので初日に見に行きました。
皆さんご存知、「性欲異常者シンカイ」の新作です。
「秒速5センチメートル」を見たあと来たこともない駅に降りてあてもなくふらふら歩き回ったり、「言の葉の庭」のBlu-rayを買ってしまったり、「君の名は。」を劇場で何回も見てしまったり、「天気の子」にブチ切れたりしてきたわけですがここまできて一つの結論を得ていました。
「君の名は。はシンカイの性癖を周りの人間がマイルドに味付けしようとした結果生まれた奇跡だったんだ、俺は本当はそんなにこの人の作品性が好きじゃないんだ」
何故なら君の名は。で一番好きなのは恋愛についてではなく、まして最後が秒速の展開を匂わせながらのハッピーエンドだからでもなく、人が今そこにいない人の意思に背中を押され強く決意を持って立ち上がり事を成したその姿が好きだったからです。
傷つきながらも立ち上がる、それは自分が独りじゃないから。
人との繋がりを胸に困難に挑むのは見てて気持ちのいいものです。
でも新海誠の作品というのはどちらかといえばすれ違い、抗えない現実や別離が主軸の見た後に物寂しさがあるようなものが多い印象です。
物語の始まりではなく終わりは微かな寂しさってことですね。
そんなわけで「すずめの戸締まり」もまぁそんな感じだろう、でもまぁつまんなかったらそれはそれでネタにできるぐらいの映画ではあろうぐらいの気持ちで見に行ったわけです(初日の朝に行きながらも)。
そうしたらお前どうした?
物語の根幹がかなりセンシティブだからこそこの作品をちゃんとエンタメとして成立させる要素が必要だと思いいろんな要素がめちゃくちゃバランスよく成り立ってハッピーエンドにしてんじゃん!!!!!!!
まぁ見終えたあとインタビューを読んで「君の名は。はもう今の自分には作れない(恋愛にあそこまでの強度を持って作れなくなっている)ので今の自分でなければ作れなかったものを作った」みたいなのを見てわかってしまいましたね。
作家の精神性が変化して作品に影響している、それでいて根底にあるものはがっちりしてる。
人間の可能性を信じながらも愚かさをも持つことを否定できずだからこそ自分がやるべきことはと作品を作る富野(個人的見解)、自分の趣味を全力で押し出しているように見えてその実本当に作品の土台となっているのは弱さと向き合うという人間的幼さからの脱却と成長なんだとようやく打ち明けてくれた庵野(個人的見解)。
新海も彼らと同じだったんですよ!!
オタク与太話はもういいや。
すずめの戸締まりが面白いって話がしたいんだよ俺は。
ざっくりとあらすじを説明すると
九州に叔母と住む少女、岩戸鈴芽(いわと すずめ)はある日謎の男、宗像草太(むなかた そうた)に出会う。
廃墟を探し扉を閉めるために来たという意味不明なその男が気になり廃墟へと入り込むとこの世のものとは思えない綺麗な星空が扉の向こうに広がっているのを見つける。
扉の近くに謎の石があるのを拾うとそれは猫へと姿を変え逃げてしまう。
意味がわからずその場を逃げ去り学校に着くとあの扉があった廃墟の方から謎の黒い物体が伸びていくのが見える。
慌てて廃墟に戻ると黒い物体が飛び出している扉を草太が必死に閉めようとしていた。
黒い物体がこの世に出てきてしまったのを放置するとそれが地面に叩きつけられ地震が起きるのだという。
2人はなんとか扉を閉じることに成功するが先程逃げた猫によって草太は子供椅子と同化させられてしまう。
草太は扉を閉じ、災害を抑える役目を担っているが椅子のままではそれが果たせない。
責任を感じた鈴芽は草太の体を元に戻すため猫を追い、椅子となった草太と旅に出ることになってしまった。
みたいな感じですね。
この映画はおおまかに
①出会い、旅立ち
②各地での戸締まり
③草太を救うため自分の過去と向き合う
という構成になっているのもわかりやすくまた見応えがあります。
最初の演出と最後の演出が家の鍵を閉めて出かけるとやっていることは同じなのに映画を通して深みが増すのはめちゃくちゃよかったですね。
大学生ながら日本各地を巡り災害を鎮めて回っている草太はもうウルトラマンだろ。
廃墟に出来てしまった扉を過去そこにいた人たちの思いを借りて「この土地を人の手からお返しいたします。」するのは存在と無の地平線概念なのでファフナーです。
そのうえで冒頭に書いたようなことやられたらそりゃ好きになるんだよな。
ヒーローもののテイストがありながら悪い奴ぶっとばすぜじゃなくて鎮めるで、そのために必要なのが自分の中の大きすぎる傷と向き合うことでそれを出会ってきた人たちが後押しになってるのでめちゃくちゃよ。
肉弾戦(扉を閉める)→必殺技(扉を閉める)
なのでやはりウルトラマンの文脈が強い気がしてきた。
つまりこの映画はグッドじゃない。
最高(ファンタスティック)!!
気を抜くとオタク話に戻るのやめろ。
①出会い、旅立ち
叔母さんと二人暮らしの九州宮崎に住む女子高生がこの映画の主人公。
なんてことはない普通の女子高生として描写される。
市長の娘とかじゃないし空を晴れ渡らせる能力もない。
しかし、全てを見たあとだと彼女とそれを取り巻く特異性は目立たない形でしっかりと描写されていることがわかる。
それは彼女が「東日本大地震により母親を亡くしている」ことだ。
地震が起こっても彼女の学校にいる他の生徒たちは多少の地震があってもバスケットボールを中断しないし「揺れたねぇ」ぐらいでしかない。
一方で鈴芽はこの世ならざる謎の物体が地面から伸びていくことに青ざめているようであるがこの状態を放置すれば地震が起きるということに対してまさに『必死』になって行動する。
もしミミズが起こすのが地震でなかったのなら彼女はここまで必死になれたのだろうかと最後まで見た後では思う。
この時点では謎の化け物を前に怯え縮こまるのではなくそれによる被害防ぐため立ち向かっていく姿勢は実にヒロイックでありこれは劇中一貫して描かれるのでもしかするとこの映画は恋愛ものではなくこの雰囲気でいくのでは…?とヒーローものの文脈で見ていました。
また鈴芽の住む環さん宅は独り身が住むには明らかに広く、また利便性の低い高台に位置していることから「環さんは鈴芽のためにこの自宅を用意した」ことが考えられる。
津波が来ない高台にだ。
また最初の戸締まりの後地震があったから連絡したのに出ないことを心配されているがそれはそう、鈴芽にとって地震がどれだけ心の深い部分でトラウマになっているか環さんは12年もの間見てきたからだ。
でもね、環さん。
鈴芽は貴女は周りの人のおかげでそれを過保護だと思えてそんな時人のために動けるぐらい元気に育ちました。
でけぇよ愛。
まぁそんな感じで心配してくれる環さんを雑めにあしらい逃げるダイジン(猫)と追う草太(椅子)を追いかけてフェリーに乗り込み愛媛に行くことになってしまった、までが①の話。
家出少年少女好きだね新海誠。
親御さんが窮屈で乗り越えるべき壁みたいな作り方をする印象があったなかで環さんはむしろ最終的には後押ししてくれるわけだけどその辺も心境の変化なんかね。
②各地での戸締まり
突発的に九州を飛び出し愛媛に来た鈴芽と草太(椅子)はネット上に広がるダイジン(猫)の情報を頼りに追跡を始める。
愛媛では千果という少女と出会い鈴芽と草太以外の人物と現状を考える機会を得る。
その際の「自分が大切なことをしている」という考えはより一層使命感を強めただろう。
愛媛での戸締まりを終えダイジンが向かった神戸へ行こうとする道中で幸運にも同じく神戸へ向かう二児の母ルミの車に同乗させてもらえることになる。
神戸での戸締まりを経て鈴芽は幼い頃に常世を見たことがありそれがミミズなど他の人には見えないものが見える理由であることが仄めかされる。
このようにこの編では鈴芽が旅の中で新たな出会い、助けを経て物語の核心に状況も心情も近づいていくのだ。
人の思いを以て土地を鎮める閉じ師としての生活と自分の世界を広げていく鈴芽の成長がいい感じにマッチしている視聴者としても楽しい場面だ
事情もわからず心配しか積もらない環さん以外には。
そうして環さんの心配をどこ吹く風についにウキウキで東京にやってきた一行。
要石は東京にある大きな後ろ戸と関わるらしいが肝心の場所がわからない。
そうしているうちに東京の後ろ戸からミミズが現れてしまいその場所は鉄道トンネルの向こうで一体どれほどの深さにあるかもわからない(つまりここまでと同じように戸締まりで収まるものではない)。
そうこうしているうちに要石が抜けミミズの全体が顕現してしまう。
鈴芽と草太はダイジンを追いミミズに飛び乗りダイジンに要石に戻るよう詰め寄るが実は最初に椅子と一緒にされた時点で要石の役割は草太に移っていたのだと明かされる。
草太は気が付きたくなかった事実を否が応でも認識し要石になってしまう。
それ以外にこの事態を治める方法がなく(ここなんですけど鍵が反応しているので鈴芽は自分がそうしないことで失われてしまう人やものを強く心に映し出されているっぽい、聞いてるか帆高お前の中にないものだぞ)鈴芽は泣きながらミミズに草太を突き刺す。
皇居の濠に落下した鈴芽は目を覚ますと東京の後ろ戸となっている城門の前にいた(落下した鈴芽はダイジンが助けた、後の事を考えるとダイジンは鈴芽に戸締まりをしてほしいので東京の後ろ戸まで運んだ可能性が高い)。
扉の向こうには常世で要石としてミミズを封じている草太が見えるが常世に入ることはできないため助けることができない。
これでようやく2人きりだねと近づいてくるダイジンをはっきりと拒絶。
鈴芽によって封印から解放され自身に好意を寄せてくれていると思い込んでいたダイジンは意気消沈し場を去る。
東京の後ろ戸を閉じ(思いが足りていないというか草太を助けたい気持ちが強く出過ぎていて鍵はボロボロで封印が不十分っぽい、特に伏線とかではない)、草太を救う方法を聞くために昔閉じ師として活動していたという草太の祖父に会いにボロボロのまま病院に潜入する鈴芽。
祖父は「巻き込まれただけなのだから例え草太が犠牲になったとしても救った命の大きさを誇り口を閉ざして去れ」と強い口調で拒絶されてしまう。
しかし「生きるも死ぬも運でしかない、私は草太さんのいない世界の方が怖い」と訴える。
東日本大震災でたまたま母親が死に、たまたま自分は生き残ったことによる人生観が出てるんですよね。
愛知での戸締まりで「死なんて怖くない!」と言うのも死の恐怖を直視してはまともに生きていけない経験をしているからなんだと思いました。
しかし、だからこそ、大事な人のために動けるんですよね。
祖父は「人が人生で倒れる後ろ戸はひとつだけ、過去貴女が常世に迷い込んだ後ろ戸を探しなさい」と助言を与える。
鈴芽が去った後黒い猫が祖父の元にやってくる。
「ついに抜けてしまわれましたか。お久しゅうございます。あの子について行かれるのですか、どうぞよろしくお頼み申す。」みたいなことを言っていたのでここでこの黒猫はダイジンと対をなす存在=東京の要石であることが示されていますね。
で、話の流れが途切れるんで後に回した要素があって東京で草太の家に着いた時にとんでもねぇ性癖男をぶち込まれるのがこの映画なんですが。
高身長茶髪耳ピアスメガネ気だるげタバコ男(CV:神木隆之介)!?
突然何!!??
草太の友人で一緒に教員を目指している!?
昨日教員試験だったのに草太がすっぽかして不機嫌!?
家業が大変なのは聞いていたけど流石にキレて二度と顔見せんなと言いつつ貸した2万は返しにこいと会う約束を取り付けようとする!?
芹澤朋也、恐ろしい男……
まぁ所詮脇役、いかに属性を凝らそうと話は佳境。
脇役にさく時間はないのだ。
鈴芽も傷を洗い流し制服に袖を通しながら草太の靴を借り覚悟も決まりまくって最終決戦形態となりいざクライマックス!!
常世にいる草太を助けに自分の過去と向き合いに………
え!?草太を助けに行くなら俺がどこにでも連れて行ってやるって芹澤が車出してくれるの!!??
③草太を救うため自分の過去と向き合う
草太を救うため覚悟を決め駅に向かった鈴芽を呼び止めたのは赤いオープンカーに乗った芹澤だった。
芹澤は鈴芽を呼び止め草太のところに行くんだろ?どこへだって連れて行ってやる!と言い出す。
「友達の心配しちゃ悪いかよ!!」
え?お前草太のこと大好きじゃん。
昨日の悪態全部草太が家業で自分の人生を好きに生きられないが草太自身はその家業のことを大切に思っているからあまり口を出さないことに対する怒りだったの?
鈴芽がついた草太のいとこって嘘が嘘だとわかっていても姿を消した草太に近づける方法はそれしかないと気付いたから朝からずっと鈴芽が来るの待ち構えてたの?
高身長茶髪耳ピアスメガネ気だるげタバコ熱い友情🆕男(CV:神木隆之介)!!??
そこに現れる震災で親を亡くした子を引き取り12年育て上げたバリバリキャリアウーマン叔母、環さん!
心配して東京まで来てくれるんですよ、愛ですね。
こうして駅前には落ちぶれホスト風男vs制服女子高生vsバリバリキャリアウーマンの構図が出来上がったわけですね。
一度沈んだ空気がちょっと緩んでシリアスになりすぎた話がここからクライマックスに向けて若干の余裕が作られましたね。
一悶着ありましたが突如現れたダイジン(猫)が喋ったことで話が中断され鈴芽が示した目的地へと向かうことに。
それは鈴芽の実家があった場所、今はもうかつてそこに人の営みが存在していた証拠のみが残る津波の被災地であった。
3人と1匹のドライブ。
芹澤は乗客に合わせて出発にはこれでしょと「ルージュの伝言」をかける。
え!!??お前が歌うの!!??
なんとか旅立ちを盛り上げようとルージュの伝言を歌う芹澤!!??
なんだこいつぅ〜〜
好きなんだな、そういうやつが。
片道7時間、すんなりと終わるものではなく途中途中ストーリーが入るのは必然。
なにしろ何も解決はしていないのだ。
突然理由も言わず九州から東京まで飛び出して行った娘はなんとか会えても理由を言わないし猫は喋ったし。
途中人が避難した地域で小休止をとることになるが高台から緑が生い茂り太陽が指す海を見て芹澤は「この辺ってこんなに綺麗だったんだなぁ」とこぼす。
鈴芽はそれに動揺する、そこは彼女にとっては自分と同じく住んでいた家をその暮らしごと放棄せざるを得なかった場所だったからだ。
この辺は新海誠の精神に大きな影響をもたらした2011年の桜が現れているように見える。
東日本大震災により人々は大きな傷を負っているなかでそんなことは何も関係ないと桜はただただ綺麗に咲いていた。
人の感傷など自然には何の関係もなくまた何の考慮もされない。
途中雨で休憩することになった道の駅ではご飯も食べずに頑として1人車に残る鈴芽に環さんが怒る。
環さんはただ理由を聞きたいのだがそもここでちゃんと説明できるのなら環さんはこんなに心配してはいない(もっとも最終的に言えるのが「好きな人が犠牲になったので代わりに犠牲になりに行こうと思ってます」なので口にできるわけもない)。
ただただ振り回されるばかりの環さんはついに堪忍袋の緒が切れたと母親を亡くした子供を育てることで感じていた辛さ、自分の人生が流れて行ってしまった悲しみ、こんなの割に合わないという怒りを曝け出す。
しかしそれは少し不自然なものだった。
「あなた誰?」という鈴芽の問いかけに対し環さん、いや後ろにいる黒い猫は「サダイジン」と答える。
環さんは気を失い倒れてしまうがすぐに目を覚まし自分が鈴芽に何を言ってしまったかを思い出すと逃げるように車から去って行った。
ここなんですけど「ダイジンが訪れたことで鈴芽が泊まった施設が繁盛していた」という設定からダイジンが福を司る神であることと対極的にサダイジンは禍を司る神であったんじゃないかなと思いますね。
ダイジンを見た一般人が可愛いといった感情を抱いていたのはその人が持つ正の感情が増幅されていたと考え、逆にサダイジンが近づくと負の感情が増幅されてしまい環さんの中に溜まっていたものが溢れ出してしまったんじゃないかなと。
ここまで環さんと鈴芽のちゃんとした会話がなかったから発覚してなかっただけで駅で出会った段階でサダイジンは環さんに憑いていたのかもしれない。
知らんが。
そして芹澤!
何ソフトクリーム食べながらUFOキャッチーしてんだ!
環さんに泣きつかれるところめちゃくちゃお前に合ってるな!
「……闇深ぇ〜」ってわかりながらも深入りはせずそれでいて突き放しもしない面倒見の良さはなんだ!
再出発に「ケンカをやめて」をかけるのいいな!
重い空気にめげない!がんばれ芹澤!
「猫って理由もなく着いてこないでしょ、その2匹は鈴芽ちゃんに何かして欲しいんじゃないの?」と芹澤が言うと
「その通り 人の手で元に戻して」と喋るサダイジン。
それにびっくりしすぎて事故る芹澤。
目的地まではまだ20kmもある。
鈴芽はここまで送ってくれた礼を言うと走り出すがそれを環さんは近くに落ちていた自転車で追いかける。
ただ1人取り残された芹澤は呆然としながらも笑ってしまう。
ここで「いいなぁ」と出るのも芹澤の良さか…?
脇役のくせに心を乱してくるなよ。
オンボロ自転車に鈴芽を乗せて走る環さん。
「あの駐車場で言ったこと心の中にあったけど、でもそれが全部じゃない」と伝える環さんとそれを「わかってる」と受け止めることができる鈴芽。
12年の間にある信頼がでけぇ〜〜〜
ついに辿り着く実家、否それがかつてあった場所。
「お姉ちゃん、鈴芽大きくなったよ」
うおおお〜〜〜
ここの何気ない鈴芽の「ただいま」も環さんのものがたり読むと意味がでけぇ〜〜〜〜
環さんと暮らすようになってしばらく「ただいま」も「おかえり」も言ってくれなかったし「まだ、おうちに帰っちゃだめ?」まで言われてますからね。
幼い頃自分の庭に埋めた缶を掘り出しその中の日記から当時の記憶を思い出そうとする。
「私あの頃のことよく覚えてなくて」と鈴芽が言うのやはり人間は忘れることで生きていけるんだなと思ったね。
捲られたページはクレヨンで真っ黒に塗りつぶされていた。
わかるのは上にある「3月11日」のみ。
話として彼女が東日本大震災で母親と故郷を失ったのがはっきりと描写されるのはここが初めて。
ここで自分の閉じ込めた過去と向き合うことになるがもう鈴芽は前に進んでいるので今更そこで立ち止まることはなく、自身が過去に見た後ろ戸の情報をもとに動き出す。
ここでダイジンに後ろ戸へ案内されたことで
×ダイジンが後ろ戸を開けて回っている
○後ろ戸が開くところに鈴芽を誘導して戸締まりしてもらっている
ということが判明しこれまでの言動が全てただの事実陳列罪だったとわかる。
紛らわしい。
「後ろ戸はまだまだ開くよ」→要石が抜けたので
「(ミミズがこのまま落ちると)いっぱい人が死ぬね」→要石になった草太を使って鎮めないの?
「好きな人のところ!」と言いながら笑顔で常世に飛び出していくのも環さん、あなたのおかげでこんなに元気に育ちましたと言う気持ちでいっぱいになりましたね。
ここからは衛宮士郎のトラウマか?って感じに燃えた町を草太を助けるため抜けながら人間に戻った草太と共に要石に戻ったダイジンとサダイジンをミミズに突き刺すバトルパートなんですけどバトルパートよりもそこにちょこちょこ入る命題の方が本質ですね(そこは決着の基準ではないため)。
そこにはたくさんの「いってきます」「いってらっしゃい」があったけど「ただいま」「おかえり」が言われることはなかった。
人は大自然の前に無力でただ一時その地にいるだけのもの。
死は常に隣にあり生は簡単に裏返る、それでも少しでも長く私たちは生きたいという祈り。
戸締まりでかつてそこにあった人の思いを借りるのの延長ですね。
ミミズを要石で鎮めたあとの常世で鈴芽と草太は幼い頃の鈴芽と出会う。
そこで最初のやつに繋がるんですね(それはなんて待ち遠しい、希望に満ちたはFate/EXTRAだけど)。
辛いこと悲しいこといっぱいあったけどそれで全部が終わっちゃったわけじゃないその先にも輝かしいことはいっぱいあるんだよというのが新海誠から出てくるのはマジでびっくりした。
「お姉ちゃんだれ?」
「私は、鈴芽の明日!」
めちゃくちゃいいシーンだったね。
そこから現実に戻ってきて「行ってきます!」でタイトルまたバーンと出て終わるのも最高だしまた会う約束をしながら芹澤の車で帰る(お前まだ出張るの?)エンドクレジットも最高でしたね。
東京→神戸→愛媛でルミさんのスナックや千果の民宿に環さんと寄るのもめちゃくちゃいいね。
幸せなエンドクレジットはご褒美でしょ。
このために生きているといっても過言ではない。
ハッピーエンドで終わらせる気がある映画みんなやれ。
ククルスドアンは……そこじゃないと思うな俺。
季節は変わり冬、すっかり元の日常に戻った鈴芽は通学路の同じ場所で草太と再会。
これでお話はおしまい。
いやぁいい話だったなぁ。
新海誠からこんなの出てくるとは思ってなかった。
なんか気持ち悪いぐらいネッチョリした恋愛ものを美麗な背景で誤魔化して一般ウケしてしまった人だと思っていたので衝撃だった。
にしても鈴芽のキャラもそれを中心に広がる話も面白かったのに見終わってまずみんな「芹澤が」になってたのめちゃくちゃ面白かった。
芹澤の存在で草太の掘り下げも急激に進んだから脇役というものは恐ろしいね。
草太に内緒で鈴芽と芹澤で誕生日パーティー企画するも薄々勘付かれてる、閉じ師の仕事で休んだ分のノートを芹澤に借りる草太(貸すことを前提でノートをとっているのでめちゃくちゃ綺麗)、ちょっと仲良くなった女より草太を優先する芹澤みたいな幻覚が見える。
そもそもすずめの戸締まり見てウルトラマンやん!とかファフナーやん!とか幻覚は見てるんですけど。
草太が鍵をベータカプセルみたいに手に持ってるシーンがあったと思う(ない)。
公開日から年越してまでダラダラと書いてましたが今後も人の輝きを見て生きていきたいなと思いました。
新海誠作品、次も見に行きまーす。
PS.
3回目見に行ったら常夜のあの星空、ウルトラマンデッカーの胸と頭の銀河に見えてきました。
後ろ戸から常世に飛び出したところで背面月になるのウルトラマンデッカーじゃんね。
「環さんのものがたり」読んだんですけどやっぱり環さんも突然のことでなんの準備もないまま鈴芽を受け入れることにしてしまい苦悩していたんだなと。
苦悩は苦悩としてあり、でもそれだけじゃないよと本編で言われていることが既に救いですね。
青春って誰かがそれをできないことで成り立つんだなぁと常々思いますね。
基本的にそれは保護者が負うものなので「母親だって女なのよ」みたいなので家庭が壊れるのはまぁそういうことなんですね。
個人にはそういう自由があるというのもわからなくはないんですがでもやっぱりそれを譲れるような大人がいる世界が僕は好きですね。
子供もそれに自分で気がついて自分がいかに幸福なのかとそれを支えてくれている人がいることに感謝をしてほしいなと思いますね。
「空の青さを知る人よ」でも姉がいかに自分を犠牲にして妹の青春を守っていたか、それに気がついた妹がどう行動したか、そして最終的に姉妹で幸せなエンディングを迎えられたの良かったんですよね。
まぁ僕は異常独身男性なので関係ないんですが。
4回目行って『芹澤のものがたり』もらってきたんですけど芹澤の言動全部に裏付けがされるの何事なの!?
最初に出てきて言ってた「あいつは自分の扱いが雑すぎるんだよ腹が立つ」→前に金を稼ぐために危ないバイトをしてた頃に草太に言われた
鈴芽が来るのを駅前で待ってた→「草太」と同じ目をしていたから草太のところに行くんだと確信
見ず知らずの2人を宮城まで連れて行こうとする道中2人に気を遣ってる、車が事故って鈴芽と環さんが自転車で行ったあとの「いいなぁ」→コロナの影響で人と直接接することがない生活に疲れ切っていたことがありそこで寂しさというものを強く実感、風邪で寝込んだ時に草太が来てくれたのにものすごく救われた
最後鈴芽と草太が別れの挨拶をしているところで煙草を吸ってない→煙草は荒れてた頃の習慣、それをやめた
そしてその風邪で寝込んでいたころに草太が家業で忙しかったと聞いてその家業のことを話せないのか?と聞いたが「・・・いつか聞いてくれるか?」と切ない声で返される
何?同性間クソデカスタンド攻撃か?
であとがきで「このキャラそんな掘り下げる気なかったんですよね」とか言われるの何?
付け合わせのくせに味濃すぎだろ味見したんか????