シンエヴァンゲリオンを見てきました
めちゃくちゃにネタバレするんで見てない人は読まない方がいいです。
TV版と旧劇、新劇全部見ての感想なので。
シンエヴァンゲリオンを見て分かったことは「庵野監督は最初から同じことを言っていたんだ」っていうこと。
いやいやTV版の最後は難解すぎるしそれを戦闘交えてちゃんとやった旧劇も難解すぎてよくわからんかったし旧劇の最後はどう見てもシンエヴァみたいなハッピーエンドじゃねぇだろ?って思う人もいるかもしれない。
でもTV版も旧劇もシンエヴァもやりたかったことはただ一つ、「シンジの成長、それによる決着」なんですよね。
碇シンジというキャラクターは責任を負いたくない、自分が悪いっていう状況をとにかく避けたいでも自分を見て欲しい自分を認めて欲しい誰かに好きって言って欲しいっていう印象が強いと思ってました。
でもそれってきっと誰もが意識しているにしろ無意識にしろ周りに求めるものだとも思っていて、言ってしまえば普通の人間なんですよね。
特別正義感が強いヒーローでもなく、明確な意志を持って行動する強い人間でもなく、普通の人間を主人公に添えて何がしたかったのか?
その答えがTV版や旧劇では視聴者に伝わっていなかった。
何故か?それは視聴者はエヴァンゲリオンを巨大なロボに乗って戦うアニメだと思ってしまったからなんですね。(エヴァはロボじゃないんだが?とか言う奴は名誉クソリプマンの称号を授けます、感涙に咽び泣け)
それが伝わらなすぎた結果、シンエヴァのラストは皆が予告で見て期待に胸を膨らませた初号機(カシウスの槍)vs13号機(ロンギヌスの槍)の戦闘は一種の茶番、前座として表現されました。
https://m.youtube.com/watch?v=d8mf0qDD3Qg
1:09〜のシーン
このPVだけで勝利を8割確信して見に行きました
予告では全くわからなかったですがあの戦闘シーンは明確に特撮のセット(ウルトラマンとかの巨大なものが戦うやつが一番近い)で戦っていました。
ロボットアニメで視聴者から求められるものは何か?
当然かっこいい主人公がかっこいい主役機でラスボスを打ち倒すことです。
でも庵野監督がやりたかったことはそこではない。
エヴァンゲリオンには人智を超えた超生物の襲撃があり、その裏で謀略が蠢いていました。
無論これらはロボットアニメの設定としては大変見応えがあり我々を虜にしました。
しかし、新世紀エヴァンゲリオンという作品に関してロボットアニメではありえないことがあります。
ラスボスが不明瞭なことです。
渚カヲルは最後のシ者です。ですが倒した後も物語は続き、ラスボスというには不適であることが誰の目にも明らかです。
ゼーレは黒幕です。ですが彼らは計画の主導者たちではあっても人類補完計画の阻止は碇シンジの中にはなく、またゼーレとの直接関わりははっきり言って皆無です。
碇ゲンドウはシンジにとって最大の壁です。ですが人類補完計画の中にあってゲンドウとシンジは最後までまともにぶつかることはなくお互いにお互いの決着がつくだけです。
惣流アスカラングレーは最もシンジに厳しく感情をぶつけてきたキャラクターです。ですが作中での立場はヒロインの1人というのが視聴者にとって一番的確な立ち位置でありまた作品として明確な対立関係にあるとは言えません。
では新世紀エヴァンゲリオンでシンジが立ち向かうべきはなんだったのか?
自分自身です。当たり前ですね。
ではシンエヴァでそれを視聴者にわかりやすく伝えつつ、シンジが乗り越えられたんだと示すためには何が最適か?
エヴァンゲリオンに乗って父の計画を打ち倒すべく無双の活躍をすること、ではありません。
逃げてきたことを受け止め、前に進む姿勢を示すために最も必要なことはシンジが最も苦手としてきたこと、責任をとることと父と向き合うことです。
先程言ったように初号機と13号機の戦闘は茶番です。
碇ゲンドウにラスボスとしての風格を与えるためのあれこれも含めて、視聴者を納得させるためのシーンです。
しかし同時に初号機と13号機の戦闘は碇シンジが歩んできたものを写します。
「我々の決着は暴力や恐怖によるものではない」みたいなことをゲンドウが言い、シンジは「父さんと話がしたい」と戦闘をすっぱり辞めます。
1人でいることが当たり前だったのにユイと出会ったことで1人でいることに耐えられなくなってしまった、母親を失った自分の子供との向き合い方を弱さゆえに間違えてしまったという彼の中の動機がゲンドウ本人の口から語られます。
TV版、旧劇、新劇全てにおいてゲンドウはユイにまた会いたいという思い「だけ」を糧に行動、あるいは停滞してきました。
一方で自ら望んだものではなく、またその中にあった結果もやり直したいことばかりだった歩みの中でシンジは他人の思いや死などのショックを受け止めたうえでなお折れずに手を差し伸べることができる人間へと成長しました。
シンジはゲンドウよりも遥かに「大人の精神」を持っており全てに決着を付けるにはゲンドウを、父を殺すのではなくただ肩を叩いてやることでよかったのだと気付きそれを実行するだけの強さを手に入れていたのです。
TV版では自分の存在を肯定し、
旧劇では他者の存在を許容し、
新劇ではその先にある未来へ踏み出したシンジ。
それらに説得力とエンターテイメントを持たせるものがエヴァンゲリオンというストーリーと舞台設定だった、ただそれだけだったのです。
ということに俺の中ではしておくことにしたぜ。
見え方は人それぞれ。楽しいと思ったものは製作者にとっては全く想定されていなかった見え方かもしれないんだからな。
でもそれは決してじゃあダメってことにはならないんだぜ。
それでもその時そう見えてそう思ったその心は嘘じゃないんだから。
俺はエヴァンゲリオンを通して自分を肯定することで他人を許容し人の繋がりの中で生きていくことができるってメッセージを『勝手に』受け取ったんだから。
追記:
①アスカに「あんたのこと好きだったと思う。でも私の方が先に大人になっちゃった」みたいなのに「好きって言ってくれてありがとう。僕も好きだったと思う」みたいなこと返してたあれ。
新劇最初見た時はやけにシンジに対する恋愛描写が多いなーと思っててまぁ時代のウケかとか思ってたんだけどここまでシンジの成長を表してくるとは…
②庵野監督がほとんど全てのキャラに対する救いと掘り下げを用意してきたことマジでびっくりした
③エヴァンゲリオンを成立させるためにエヴァの呪いって設定でパイロットたちの年齢を固定したうえで同級生たちの成長した姿は見せるのいやーちょっと寂しいなって思ってたら最後神木隆之介に声変わりしたシンジが出てくるのはマジでやばかった
少年の終わり表現として強すぎる
④鬱病診断食らったから序盤特になんか刺さるシーンが多かった
⑤マリに「絶対迎えに行くから待ってて」って言われてそれを素直に受け止めあのシンジが人を信じて待ち続けるあれ、成長すぎる