数年ぶりにスキー旅行に行ってきました
学校行事で何かしらのスポーツをやることがあった人がどれくらいいるのか知らないしあんまり興味もないんですけど、自分の通っていた中学は毎年スキー旅行があったんですな。
スキーというのはとても簡単かつ発展性のあるスポーツで、基本のボーゲンができればスピードを抑えたまま滑ることができるしパラレルターンを覚えた時はなんかできちゃったな自分って気持ちになれる。
もちろんそれらを組み合わせてどんどん腕を磨いていくこともできるし、そのまま緩く遊ぶこともできる。
金はかかるけれど必要なものは全部レンタルもできて1年に一回ぐらいはやってもいいかなという気持ち。
そんなわけで2度目の福島に降り立った1月の終わり。
大学時代の先輩2人と車でスキー場に行く。
来たのは猪苗代リゾートスキー場。
スキー板を借りて少し行くと猪苗代湖が見えてとても綺麗。
天気も良く絶好のスキー日和。
天気晴朗なり(つくづく天才だよ、俺はァ!)
リフトに初めて乗った時は考えたやつの頭の中に安全性という言葉を叩き込んだ方がいいのではないだろうかと思ったが実際この形式がみんなにとって楽なんだよな。
そしてBGMはここでも紅蓮華。
鬼滅の人気はどこまで行くのだろうか。
鬼滅、もう終わりそうだけどまさか無惨がやられないってことはないだろうしハラハラポイントは誰が死ぬかぐらいなので若干冷静になってる。
ゴンドラに乗って高いところへ。
いい景色だが急に斜面の角度エグくなりすぎでは?
未経験の先輩が転びまくるのを見ながら滑っていたわけだが俺も2回ほど転んだ。
しかし私は天才であるからしてっ!!
転んだとしても起き上がるのは神速を極めているのだ!!(恐ろしく速い立て直し、俺でなきゃ見逃しちゃうね)
日も暮れてきてスキー場も閉まるとのことで撤退(雪が非常に少なくなんと行った前日にようやく営業開始だった)。
スキー場を出てちょっと行くとヒーローズダイナーというお店があってそこのハンバーガーが美味いんだな、これが。
でかくてちゃんと素材の味がする。
もうマックじゃ満足できないんだよな〜〜
関東から西に展開しているハワイのハンバーガー屋なんだけど値段相応にでかいし美味いので食べてみて欲しい。
でかくてちゃんとしてるハンバーガーは美味い。
その夜酪王カフェオレとドーナッツを食べて胃もたれし、翌日朝飯なんだか昼飯なんだかわからない円盤餃子で優勝して終わり。
帰ってきて思ったのは東京の方が寒い疑惑でした。
今年は海行きたい。
夢見ることは放課後のリバティ
ラブコメといえば何を思い浮かべるか。
いちご100%、ToLOVEる、ニセコイ、五等分の花嫁などのメジャーな漫画や、ラノベ、映画、アニメなんかまぁ色々みんなあるだろう。
自分の恋愛観は○○で構築されてしまったみたいなやつもあると思う。
(ぼくは空の境界で構築されてしまったのでダメです)
そんななかで最近ついに単行本を全て買ってしまった作品がある。
2019年12月アニメ2期完結、原作漫画もラストスパートと思わしき「ぼくたちは勉強ができない」だ。
https://www.shonenjump.com/j/rensai/bokuben.html
ざっくりとあらすじを説明すると
秀才の主人公「唯我成幸」は貧しい家庭のため条件のいい大学進学(授業料免除など)を目指し日々勉強していた。
そんななかその条件として2人の天才の教育係を学校側から命じられたがなんとその2人は自分が長けたフィールドの逆に進学しようとしていた(文系⇔理系)。
天才たちは進学したい方面は全くできずさまざまな先生をたらい回しにされていたのだ。
父親の言葉『お前はできない奴をわかってやれる男になれ「できない」気持ちがわかるのはできなかった奴だけだからな』を思い出した成幸は2人の幸せのため奮闘することになったのだった。
1話リンク【https://shonenjumpplus.com/red/content/SHSA_JP02PLUSCP021021_57】
そう、この話はなんとも珍しい「勉強」をテーマにした漫画なのだ。
もちろん少年漫画のラブコメ、天才2人を筆頭にヒロインは増えていきハーレム感が漂う。
性的興奮を覚えるシーンもまま入ってくるし勉強全然関係ない回も当然ある。
しかし、それでもこの作品が素晴らしい点は「なんのために勉強するのか」という動機がはっきりとしていること、そして「夢に向かって進むこと」を物語の根幹に置いていることだ。
え?もうラブコメ関係ないじゃん?
違うんだなぁ、これがぁ!!
勉強を通して育っていくキャラたち、その人間関係そして当然成幸に対する好感度……
勉強というのは忌避されがちなものだ。
しかしこの作品はそれを使うことで学園ラブコメの質を格段に高めているのだ!!(美食漫画みたいなコメントだなぁ)
じゃあ要素を紐解いていこうか。
①登場人物の説明
まずは登場人物から。
最初に言っておくが相撲は関係ないぞ(ぼく勉 相撲で調べてもいいし調べなくてもいい)。
主人公 唯我成幸
高3のド貧乏家長男。
家族に楽をさせるため条件のいい大学進学を勝ち取ろうとしている。
根底が善人の世話焼きなため先々でトラブルに見舞われる。
なお日頃から教育係として教え子たちの苦手分野集中特訓ノートを作成している生活なため寝不足の疲れ気味であることは間違いない。
父親の「できなかった経験があるお前はできないやつをわかってやれる男になれ」を体現していくことになってしまっているのが若干ステイなナイトを思い出さないこともないがあそこまで酷くはない。
理系を目指す文系の天才 古橋文乃
高3の母親との思い出から天文学がやりたい女子。
文系科目総なめの天才。
しかし本当にやりたい理系科目は特に数学が壊滅的。
人の心を気遣い人間関係のバランサーになろうとすることが多い反面自分に関する人間関係では本心を見なかったり諦めが先立つことが多くそういった点を成幸にカバーされがち。
成幸の女心の師匠になり物語のラブコメ展開において最も状況を把握している立場。
貧乳であることを気にしている描写が多い。
アニメでは妙に推されている。
悪意的な半天狗コラが多い(誰だ薄汚い胸とか言ったやつは)。
文系を目指す理系の天才 緒方理珠
高3の人の心がわかりたい女子。
数学系科目総なめの天才。
しかし本当にやりたい文系科目は爆心地的。
マイペースかつ論理性に偏重しすぎなところがあるもののうどん屋の娘であるため日頃から客商売に関わっておりコミュニケーション自体に大きな問題があるわけではない。
心がわからないということは自分の心もわからないということで、勉強が進んでいくうちに自分自身への理解も深まっていく。
劇中で最も心情の変化が大きい。
巨乳であることを強調される描写が多い。
スポーツ推薦を目指す片思い5年スイマー 武元うるか
高3の成幸に5年片思いしてる女子。
最強スイマーだが勉強はできない。
スポーツ推薦なら勉強できなくても大丈夫だと思っていたがそんなことはなかった。
天才2人に続く成幸の教え子として特に英語を勉強していく。
物語中唯一の中学時代からの付き合いであり最初から成幸に惚れていた女子。
成幸にとっての一番であるために勉強会に参加するようになる。
成幸が好きだが勉強の邪魔になりたくないため必死に好意を隠している(よく漏れてる)。
ヒロインの中で唯一自身が持つ才能を活かす道を進む存在。
父が死にめげそうになっていた成幸に頑張っているうるかの姿が勇気を与えた⇔水泳で上手くいかず嫌になっていたうるかに再び水泳と向き合うきっかけを与えた の相互救済関係ができている。
なお海外留学が決まっている。
15巻までで単独で単行本の表紙を飾ったことがなく個人エピソードがない(他のヒロインは全て終わっている)。
生徒よりその才能に寄り添う道を選んだ教師 桐須真冬
誰よりも生徒に寄り添いたかった女性。
才能を活かせないことは不幸であると天才2人の進路を真っ向から否定する。
しかしその根底にあるものは自らの苦い記憶、才能の道を捨て目指したい道を歩んだ結果どちらも取りこぼしてしまった過去からくる生徒の将来を思いやる思考だ。
反面家事に関してズボラなところがありよく成幸に部屋を掃除してもらってる。それでいいのか。
世界史の教師ということで一応社会科を司っている。
稀に時空が歪み成幸の後輩としてのエピソードが始まる。
学園ラブコメなのに先生キャラが人気投票で2連覇を達成し2位の5倍弱という凄まじい得票数を得たが学園ラブコメで教師が選ばれるわけないだろいい加減に諦めろ金関。
好意的な半天狗コラが多い(時空が勝手に!)。
実家の診療所を継ぐため医学部を目指す浪人生 小美浪あすみ
小妖精メイドをしながら受験勉強してる先輩。
理科系科目が苦手。予備校で出会い度々予備校での勉強の仕方などで成幸たちが世話になるが予備校、メイド喫茶ともに他のヒロインの活躍の場にされがち。
紆余曲折あり親から成幸が彼氏だと思われているが恋愛面では後輩としてからかうばかりで本気に発展しそうな空気がほとんどない。
状況をつんつんつついて終わるかニッチなお色気要員にされるイメージが強い。悲しい。
学祭などでは出てくるもののやはり日常舞台が高校であるため登場頻度が他のヒロインと比べて極めて低い。悲しい。
単行本の表紙での登板回数も最も少ない(5回 15巻までで 文乃:7回 緒方:8回 うるか:8回 先生:6回)。単独表紙も既に終わってる。悲しい。
以上がメインキャラ。
水希が好き?そう…….大変だね……
ぼくは小林とか結構好きだよ。
「成ちゃんが幸せならなんでも」とか言いながらうるかの友人と恋人になったりしてるイケメンだよ。
WA2でいうと武也だね。あんなに話関わってこないけど。
それで言うと小林と関わりがあるヒロインはうるかだけなので……???
ちゃっかり幸せになってるサブキャラ
部活最後の大会で敗れ落ち込んでいるところを慰めていい関係になったとかいう若干の警戒心を持ってしまうような流れだが武也ポジが悪いやつなわけないのであった
成幸だけをあだ名で呼んでるあたりがなんかいいね
②話の重厚感
ラブコメのゴールとはなにか?
つまるところ「主人公と誰が付き合うか」になる。
そしてそれまでの過程を見て楽しむのがラブコメだ。
決まってしまえばそこで終わり。
まぁ選ばないハーレムエンドなんてのもあるけどそれが許されるのはだいぶエロよりのラブコメだろう。
そして、ぼく勉ではもう一つゴールがある。
つまるところ高校での勉強のゴール、受験だ。
勘違いしてはいけないが当然受験を人生のゴールだと思っているカスの話ではない。
進学とはここに出てくるキャラたちにとって夢の入り口に立つことなのだ。
つまるところぼく勉には二つの軸でのゴールがありそれらに関連するエピソードが混ざり合いより強固なストーリーが出来上がっているのだ。
みんなでたくさん勉強して、みんなでたくさん思い出を作ってこの1年間は本当に楽しかった。
読んだ人もそう思えるような話なんだ。
あととてもテンポがいい。
長編らしい長編がなく各ヒロインの出番が積み重なるように出てくるため読み進めやすい。
細かい話のつながりでありながらも話としての一貫性は損なわれていないのもポイントが高い。
成幸が巻き込まれるか自分から関わっていくことでヒロインとの共通点を見つけたりヒロインが抱える問題が解消されたり、そして成幸の行動指針が補強される。
これまでの中編シリーズなど。
・文化祭(祭の行方はいざ知らず[x]どもは華やかに舞う)
各ヒロインが成幸と関わりながら進行していく。最後に一緒に見ると恋人になるジンクスがある花火が打ち上がり打ち上がった瞬間誰といたかがぼかされている。(事実上のこれ以上ヒロインは増えないしこの5人以外はヒロインじゃないよ宣言)
・文乃の家族との確執(最愛の星に[x]の名を)
文乃の父、零侍は文乃の進路を決して認めようとしない。
才能が活かされないことは不幸だという考えから取りつく島もない態度に文乃は家出を決意する。
行くあてがないため、成幸の家に泊まることとなりそのための着替えを家に取りに帰った際たまたま母親が遺したパソコンを見つける。
そこにはパスワードでロックされたフォルダが一つ。
「☆」
そう名付けられたフォルダには亡き母の残した数学の論文が入っているという。
父親にも娘にもそのパスワードはわからない。
母の忘れ形見は今の二人を表すかのようにただ佇むのみだった。
父親との関わりをほとんど諦めてしまっている文乃に成幸は星空の下、もう一度向き合うことを勧める。
これはきっと文乃自身が向き合わなきゃいけないことだと、だけどお前が本当にやりたいこと俺が全力で応援してると。
父親は星について溢れる想いを語る娘に亡き妻の面影を見る。
しかしその才能が活かされないことは数学の天才であった妻が失われたことと同じ感情を抱いてしまう。
そこで文乃が取り出したのは例のパソコン。
そのフォルダが開かれた先には論文はなく、一つのビデオメッセージが残されていた。
それは二人に残したメッセージ。
夫への愛と、娘へのエール。
実は天才なんかじゃなかった。
あなたがいたから私は頑張れた。
できなかった自分がこうなれた。
だから文乃にも好きなことをしてほしい。
私は応援している、と。
フォルダのパスワードは星の名前。
母親と文乃が二人で見つける星の名前。
二人が一番好きな人の名前。
母親の死以降向き合ってこれなくなってしまった父と娘のわだかまり。
ただお互いが向き合えていればすぐに解けたはずのパスワードに文乃は母親との思い出を振り返り、この瞬間に身を委ねる。
・桐須先生の才能と人生(黄昏に氷の花は[x]と舞う)
桐須真冬の学生時代とはフィギュアスケートだった。
練習に時間を取られおおよそ学生生活の青春はなかったが、その才能を活かすことは彼女にとっても楽しいものだった。
しかし、彼女には別の夢があった。
教師になることだ。
恩師のように生徒に向き合い寄り添える先生。
彼女は見事に夢を叶え新米教師として生徒に寄り添っていった。
しかし、才能の差は無情にもその教え子に降りかかり音大を落第。
生徒に寄り添っていたつもりがその実最も生徒を不幸にしてしまったのだと桐須先生は思った。
そして、自分にはフィギュアスケートも、教師もどちらも中途半端にしかできなかったのだと悟った。
彼女は生徒の心よりも才能に寄り添うことこそが彼らの幸せのためであると思うようになったのだった。
ひょんなことから再び開かれたフィギュアスケートと教師の分かれ道。
どちらにも踏み出せない先生に成幸は一度スケートリンクで滑ってみる機会を与える。
それでも踏み出せない先生だが成幸の携帯から流れる音が録音でないことを、聞いたことのある癖があることに気づく。
それはかつてやり方を間違え不幸にさせてしまったと感じていた生徒の演奏だった。
生徒は「音大に行けなかったがそれでも音楽を続けている、今はとても楽しい。先生が一生懸命応援してくれたから今の私がある。貴女は自慢の先生だ。」という。
それは先生にとってどれほどの救いだっただろうか。
過去の清算を果たし、その上で教師として生きていく道を再び選んだ桐須先生。
再び戻ってきた教師生活のなかでかつて憧れた恩師のようにどこまでも人に寄り添うその恩師の息子を見て先生は笑顔をこぼす。
それは氷の女王と呼ばれた彼女の紛れも無い本物の笑顔だった。
・小美浪先輩の「世界の全て」(砂上の妖精は[x]に明日を描く)
小美浪あすみにとって親が開く患者に寄り添った診療所は世界の全てだった。
その場所を、意思を継ぐことは彼女にとって当然の夢であり揺るぎない目標だ。
しかし父親の体力が衰え、かつ近くに大きな病院ができたことで小美浪診療所には限界が訪れようとしていた。
勉強に身の入らない小美浪先輩を見かねてメイド喫茶でのお医者さんごっこを提案する成幸(私は至って真面目な話をしている)。
一見ただのお遊びでしかないはずだったそれは自身の原点を再確認する場となった。
患者に寄り添いみんなを笑顔にする「世界の全て」。
医学部に進みたかったのも全てはそこにいたかったから。
小美浪診療所がなくなってしまうのなら、夢がなくなってしまうのなら何を志していけばいいのかわからなくなる小美浪先輩。
しかし成幸は思う。
本当に彼女が大切に思ったものはこの場所なのかと。
その夢の根底はまだ終わっていないんだと。
途切れてなんかいない、小美浪あすみは親が見せた医者としての姿勢を受け継ぎ夢に向かっていける。
小美浪あすみの夢は途切れない。
未来に目指す場所はきっとある。
こうして再び強い意思を胸に勉強を続けるのだった。
・緒方の羨望と嫌悪(機械仕掛の蛍は[x]の淡雪に焦がる)
緒方理珠には悔恨の念がある。
祖母の気持ちを理解できないまま他界されてしまったことだ。
彼女はボードゲームを嗜むがそれには祖母の贈り物が由来している。
優しかった祖母は幼い頃の理珠にとって誰よりも楽しい遊び相手だった。
しかしある日突然全く遊んでくれなくなり、そのまま他界してしまった。
それ以来緒方理珠にとって祖母が遊んでくれなくなった日のことはわだかまりとなりゲームに勝てるようになればあの日の祖母の気持ちが、人の気持ちがわかるようになるのではないかと思うようになったのだ。
時は流れ現在、クリスマス。
センター試験まで一月をきり緊張から落ち着きをなくした彼女たちは緒方うどんのクリスマス宣伝を行いながら勉強していた。
年季の入ったコスチュームは祖母の手作りであることを明かし、宝物であるこれまた祖母の手作りであるボードゲームを成幸に見せる理珠。
彼女にとって祖母の存在の大きさがほのめかされる。
他人からの好意、自分からの好意に自覚的になってきた理珠。
皆が私のことを好きであり、私も皆が好きだと思う、でも私は私が嫌いだと明かす。
2年前出会ったその少女は、理想的な人間だった。
人当たりよく誰からも好かれる / 私と違って
人をよく見て行動する / 私と違って
人のことを知ろうとし、知ってほしいと口に出せる / 私と違って
なれない理想を目の前に置かれるほど残酷なことはない。
不出来な自分を常に自覚させられる。
自分の嫌なところばかり見えてくる。
だから私は私が嫌いだ。
この受験勉強の日々で少しずつ前に進めているという自負があった。
理想に、古橋文乃という憧れに近づけたと思っていた。
でも何気ない自分の行動の意図がわかるようになってきてしまった。
人の気持ちに聡くなれば自分を好きになれると思っていたのに自分の醜さがより鮮明にわかってしまう。
自身の嫌なところを自覚していくほどにあの日の祖母のように嫌われてしまうと思う理珠。
自身が思い描く理想とのギャップに苛まれる。
昔のように独りに戻っただけ、そう思いつつも虚しさを感じる理珠。
そこに成幸が現れ試験を出す。
「解き終わった頃お前が自分を好きになれたら俺の勝ち そうでなきゃお前の勝ちだ」
私はずっと、私が嫌いだった。
なりたい自分はいつも隣にいた。
彼女の姿に憧れを抱き、彼我の差を憂うたび、
私は私を嫌いになった。
自分のことを書かれていると思った矢先、それは全く別の人物の心を書いたものであるとわかる。
数学が得意な彼女。
もし、私が彼女のようだったなら父は愛してくれただろうか
もし、彼女のような才能を持っていたのなら、家族と仲良く過ごせ夢に向かってまっすぐに進めたのだろうか
『古橋文乃』は目の前の憧れそのものである『緒方理珠』に嫉妬する。
そして、自分を嫌いになる。
まだお互いのことをほとんど知らない頃、打ちひしがれ夢を手放しかけてしまっている文乃に理珠は問う。
勉強とは知りたいことを知るためにあるのではないのか?
才能や他人の許可なんて関係あるのか?
きっと理珠にとっては些細なこと。
それでも文乃には何よりも眩しく見えた。
なりたかった理想は同じだった。
自分にないものを持つ人に嫉妬し、憧れる。
それでも、自分の嫌なところを見せてしまうことが怖い。
それで嫌われることが怖い。
成幸は優しく、そして穏やかにその不安を取り除いていく。
お前が何かを間違えてると感じた時は俺も一緒に向き合う、ダメなら何度だって復習して次に活かす
この1年間ずっとやってきたように寄り添い、何度も苦手に立ち向かう姿勢を提案する。
きっと4月の時点では無理だっただろうけれど、今はここまでの歩みがあるから立ち向かっていける。
それにもう緒方理珠は独りじゃない。
祖母の作ったボードゲームは誰かと関わる内容が多く設定されていた。
祖母とばかり遊んでいた幼い頃の理珠では有効に使えないであろう項目たち。
病を患い、孫とはそう長く一緒にいてあげられないとわかっていた祖母からの不器用なメッセージ。
理珠はようやくあの時の祖母の気持ちを理解することができたのだ。
そうして緒方理珠の抱える問題は解決されまた一つ、自分の心を自覚したのだった。
キャラ紹介でも書いたからお気づきでしょうが、そうヒロインのうちらひとりだけエピソードがない人がいますね?
武元うるかでございます。
しかしこの武元うるかという女、私見ではあるものの大きく意味を持っているキャラなのです。
特にそれがよく出ていると思う回が
95話 そうして彼は頓悟して[x]が為に走り出す
マラソン大会の回。
成幸はついに海外留学することをうるかから伝えられた後の話。
その件以降成幸のやりたいこととは何かに焦点が当てられる構成になっている。
91話 うるかに海外留学を伝えられた直後の成幸
催眠術にかけられてしまうという無茶な展開ではあるものの、そこまでしてようやく本心をさらけ出させることができる男だったという重みがある
あれもこれも自分で背負いながら他人に寄り添い夢を後押ししてきた男の、いや少年の本心がようやく見える
へへっ…あっしはこういうやつが大好きでねぇ…
他人を幸せにしようと頑張ってきた人間自身がその他人たちから幸せを後押しされるなんて最高じゃねぇの
話は戻り95話。
海外留学するからその挨拶の練習としてうるかからキスされた件について(なおこれは彼女の勘違いであり普通は唇ではない)文乃と理珠に相談していく話かとみんなが思ったがこの話の本質はそこではない。
成幸が頑張る彼女たちにどこかで感じていた距離の正体を自覚し、自分が進むべき道を本当に選んだ = 成幸の夢が決まった 回なのだ。
彼女たちはみんな成幸にとって夢のために進んでいく人たち。
そんななかでうるかという存在は一つ飛び抜けている。
文乃や理珠は言ってしまえばマイナスからのスタート。
周りからの応援はなく自身の力も遠く及ばないなかで頑張ってきた。
さまざまな障害を成幸と一緒に解決し自分が進む道を勝ち取った人たちなのだ。
対してうるかはこれといった障害はなく(勉強自体も言ってしまえば最悪それができなかったところで夢の実現自体に直接の影響はない)、自身の持つ才能と同じ方向を向いた道を進もうとしている。
他のヒロイン、先生や先輩を含めて唯一才能での挫折がストーリーに関わってこない / この話が始まる前に終わっているのだ(キャラ紹介で説明したように中学時代に既に水泳に対する壁は乗り越えているためこのストーリーのなかで特別取り上げられることはないし既に終わっている)。
うるかはぼく勉でただ一人の夢への道をどこまでもまっすぐ進み続けている人間だったのだ。
本当にやりたいことを、夢を優先できていない成幸にとってうるかはきっと対極的な存在だ。
ある意味夢の象徴と言っていい。
走り続ける彼女に並び立つこと、それこそが成幸が選びたい選択だった。
ぼくにはそんな風に見えました(強めの幻覚)。
成幸が一歩踏み出すために何よりも強かったのはただ前に進み続けるうるかだったんじゃねぇかなぁとぼくは思うわけです(たわ言)。
そして唐突なんですけどジョジョで一番心に残ってるのはよくどこかでネタにされるセリフよりもポルナレフの
つらいことがたくさんあったが…
でも楽しかったよ
みんながいたからこの旅は楽しかった
な私です。
今は未来につながっていくけれど、その今を作るのはここまで積み上げてきたものなわけなのですから今を悪くないって思えることはきっととても幸せなことだと思うのです。
いい思い出たちはきっと一人で作り出せるものじゃない。
そういう積み重ねがあったんだって思える瞬間はこの世で一番価値のある瞬間だと思います。
それを1コマで完璧に表現してるなと思ったのが以下です。
一年の締めくくりとして完璧な演出では…?
年を越したらセンター試験(執筆時期2020年1月半ば現在、まさにその頃)。
成幸たちもついに受験本番です。
センター試験会場に向かう成幸は車道に飛び出そうとした犬を助けるもののその際に雪で足を滑らせ大怪我を負います(ここで来週に続くとされた当時の気持ちわかるか?お気づきでしょうが俺は成幸のことがかなり好き)
そんななかついに来たこの回。
俺にうるかだけだと心に決めさせた回。
129話 それでも尚[x]を支えるものは
意識を取り戻した成幸はセンター試験会場に向かおうとするが足が痛みほとんど動くことができない。
絶体絶命のその時成幸を助けられるのは誰か?
うるかだ。
一人だけ推薦なのでセンター試験会場にいる必要がないというのはあってもここでうるかが来るのは運命。ときめいてしまう。
ただし試験には絶望的。
どんなに頑張ってもこの足では試験に間に合わない。
自分の不甲斐なさを嘆く成幸に対し、無駄になんてさせないと、力強く支えるものは……
父親が死に心が疲れ果てていた時、
初めて本当にやりたいことを親に伝える時、
ここぞというときに成幸を支えてきたのは誰よりもうるかなのだ。
ダメですね……ぼくはこういうキャラにとても弱い……
惚れたら負けと言うが負けられるのなら負けておくに限るよねこういうのは。
そんなわけでうるかのおかげで車に乗った先生と合流することができて試験に間に合った成幸は確かな支えを感じながら実力を発揮することができたのだった。
まだまだ続くうるかの進撃。
センター試験の日に成幸が助けた犬を預かっていたうるかは飼い主を探していたがいなくなってしまうとそれはそれで寂しい。
それに対してもう教えることもなく、英語を上手に喋れるようになった / 夢に近づき成長した / あと少しで海外留学してしまう うるかにクソデカ感情描写をぶつける成幸。
ぐえー(ここまでうるかは成幸に片思いしている関係上うるか→成幸の感情描写は見慣れているが逆をやられると即死してしまう)
ところで勉強も恋愛も佳境に入ってきたここで実は一人、恋愛方面で遅れを取っているヒロインがいるのにお気づきだろうか。
文乃である。
うるかは中学時代からの片思い。
理珠はクリスマスに自覚。
文乃はまだ成幸への恋心を明確にしていないのだ。
(先生と先輩…?倫理と扱いの差を考えてみればわかるはずだが……??)
それを自覚する回が136話。
何気ない会話からついに溢れてしまった言葉。
気づいてしまった、もう誤魔化せない自分の心。
コミックス16巻目にしてようやく恋心を自覚するヒロイン
熱い展開です。少し心が揺れますが俺の心は決まっているので大丈夫です。
そんなこんなで勉強も恋愛も最終局面に入ったぼくたちは勉強ができない、成幸と3人のヒロインたちははたしてどのような結末を迎えるのか!?
3人って言ったけど先生と先輩はもう巻き返しできないのか!?
(さらっとパチンコに行った高校生が主人公の漫画のアニメ化も決まったし倫理とかねじ伏せられる、果たして本当だろうか?ボブは訝しんだ)
バレンタインや
妙な勘ぐりをしてしまうこと(この演出はこのヒロインが勝つってことかみたいなの)を除けばバレンタイン回はここまできてラブコメのヒロインたちが仲良いのすごく好きです
うるかが強かった
二次試験を終え勉強のゴールにたどり着き
最後の最後でノートを出してくるの死ぬほど好き
ぼくはこの回読んだあと流星のナミダを死ぬほどループした(ほら君の今までが僕の中にあるから 一人だけど一人じゃない)
そしてうるかがつよい(またかよ)
そして、先にあるものは…
そしてついに武元うるかのエピソード
泡沫の人魚姫は約束の[x]に濡つ
がジャンプ本誌で始まり本当に本当にラストスパート感がとんでもないことに。
このクライマックスを一緒に見届けないか…?
鬼滅の刃コミックス未収録分を読みたくて電子版一気買いしたそこのあなた、鬼滅の刃読むついでに読まない…?
ラブコメで最初に告白するのは敗北フラグとかなんとか言う人もいるし、文乃な恋心への自覚を最後にあまり動きがないし、理珠もこれで終わるわけはないし、濡つっていうのが異様に不穏だしでまだまだ決着が誰なのかは予想の域を出ないラブコメぼくたちは勉強ができないを読んでくれ………
何より俺が他人の感想を見たいから
どうせ普通の映画でしょ?→ジュ〜シ〜〜!!
この題名で見にきた人、大丈夫ですか?
仮面ライダーグミのブログじゃないですよ?
「空の青さを知る人よ」を先日見てきたんですね。
なんで今更なんだよって感じなんですけどこの映画は2つに1つだったので敬遠してたんです。
①なんかまぁまぁなものが永遠と続き綺麗な空だったね終わり
(こんなことに時間と金使っちゃって)悲しいねバナージ
②こういうのでいいんだよこういうので
のどちらか、端的に言えば30点か70点か。
0点ではないし120点でもない。
そも、120点を予感したら前売り買って見てるからね。
この映画で不安だったことはやはり君の名は。人気から派生した恋愛ファンタジー(オカルト)映画にすぎないんじゃないかっていう懸念、そして鉄血のオルフェンズを作った監督と脚本だったこと。
ライブ感の高いテレビシリーズと違って映画なので2つ目はまぁそんなでもないかなと思った(終盤監督と脚本で目指す先が違ったのでとっ散らかったらしい、主人公側の重要キャラが死んで心が何も感じないとかすごいなと思った)けど1つ目はとても悲しい。
もしそうだったなら製作陣はスポンサーの意向で作りたいものとズレたものを作らされ、俺はなんか違ぇなぁと思いながら見る誰も幸せにならない状態ってことだからな。
そんなこんなでまぁもしかしたら金ローとかアマプラとかで見られるかもな程度に思っていたわけなんだが転機とは突如現れる食欲のようなもの。
目に留まってしまったからあげは今晩のおかずとなるほかないのだ。
11:50の回を11:30に把握し見に行く、しかもいい席で。
映画というのは電車と違い5分で次が来たりはしない。
その日見ようと思っていたものが昼は前の方しか席がないとかで夕方になるなんてこともアスラン・ザラ。
そんななか上映時間数十分前で奇跡的にいい席で見られるなんてことは空から女の子が降ってくるぐらいの運命的な出来事だと言えるのである。
運命感じちゃったのでそこそこウキウキしながら貯まったポイントでドリンクを購入し、映画を観る予定じゃなかったのでこれでもかと購入した漫画や食料を抱え席についた(入る直前でこれめっちゃダメなやつでは???ってなった)。
で肝心の話なんですけど、ざっくりまとめてしまうと
「自分のせいで姉はイケイケバンドマンと上京できずこんな田舎に縛り付けられていると思っている主人公あおいとその姉あかねはつつがない生活を送っていた。
ある日町おこしの一環で演歌歌手を呼んだらなんとバックバンドにあのイケイケバンドマンが!!
しかし見る影もないほど変わり果ててしまった元イケイケバンドマン慎之介、そして時を同じくして現れる『あの頃の』イケイケバンドマンしんの
姉妹と2人の慎之介/しんのを中心にあの頃が、今が動き出す……」
みたいな感じですね。
この主人公のあおいって子は最初いきなり橋の上でイヤホンつけてベースの練習を始めるんですけどこのワンシーンだけで今彼女がどういう状態かわからせるバッチリな掴み。
「わたしにはこれだけあればいい、他はいらない」という姿勢。それでいて誰かを待っている状態。
この子、昔お姉さんとイケイケバンドマンたちの集まりに一緒に行ってそこでベースをやり始めるんですけど音楽で何かをしようってシーンが全部そこに繋がっててお前の原点全部そこじゃんって感じでお前よくそれまでその心に気づかずいられたなと思いました。
そうなんですよね、もう見てるこっちはシーンが流れるたびにお前の全部があそこにあったんじゃん……って思わざるをえない。
①何故ベースか?→イケイケバンドマンしんのがギターなので
②何故続けているのか?→イケイケバンドマンしんのに「じゃあ将来はうちのベースだな!」と言われたのが心に残ってる
③あの頃の思い出→イケイケバンドマンしんのに目にホクロがある共通点を「俺ら目玉スターだな!」と言われたのが心に残ってる
④実力を見せる場で演奏したのはガンダーラ→イケイケバンドマンしんのが演奏してた曲
そう、この映画の主人公は中盤までで10年来の初恋に気がつかされるのである。
しかし、そう、イケイケバンドマンしんのはお姉さんあかねラブ。
ギターに名前つけちゃう🎸し、東京でビッグなバンドマンになってあかねを迎えにきちゃうぜとか言っちゃうような男なのだ。
だがこれは可哀想な失恋の話ではない。
恋愛を通して描かれるのは過去との決着、少女の成長とそれを見守ってきた家族=姉との決着なんだ。
そこがとてもよい……
両親を亡くし、ほとんど姉妹だけで生きていくこととなったあおいにとってあかねは唯一の頼れる存在だった。
それを失いたくないがためにしんのがあかねを連れて上京しようとするのを止めたことをずっと「自分のせいで姉は自由を失った」と思っている。
だから自分がここを出ていくことで姉を自由にしようとした。
そして姉を幸せにできる存在を探していた。
自分本位なように見せかけてその実行動指針がかなり姉のために傾いてる。
でも末っ子の行動なんて結局自分本位なんだ。
愛情を向けてくれている家族の本当の気持ちなんてわかっちゃいない。
物語の中盤でしんのへの恋心を自覚したあと、姉の本当の姿を見る。
姉は、親のいなくなったなかで完璧であるかのようだった。
食事を作り、裁縫をし何もかもを上手くやっていた。
しかし本当はそうでないのだ。
世の母親たちがそうであるように完璧に見えるように頑張った結果なのだ。
あかねがしんのについて行かなかったのは、あおいがごねたからではない。
あかねにとって一番大事なのが大好きなしんのではなく自身の妹、あおいであったからなのだ。
きっと、子供がいたり、弟妹がいる人はあかねに感情移入できるんだろうな。
俺は末っ子だからあかねに感情移入しきれず、ただそこに感じられる愛情に涙した。
当然じゃない特別な愛情。
俺もそれを持ちたいね。
にしてもそれをおにぎりの具1つで伏線にしたの上手いよなぁ。
しんのが好きな具はツナマヨ。でもあかねはツナマヨのおにぎりをほとんど作らず昆布のおにぎりを作った。
あおいの好きな昆布のおにぎりを。
ぼくはね、そういう当然だと思ってしまうものの本質がかけがえのないものであるみたいなのが大好きなのでね。
最後にあの時あかねとしんのの道を違わせたあおいが自ら一歩引くことであかねと慎之介/しんのの決着をつけさせる=自身のしんのへの恋心よりもあかねの幸せを優先したのがとてもいいですね。
これだけだとあおいが失恋して終わりやんけやっぱり失恋映画や!ってなってしまうかもしれないんですけど、実際あかねを助けるためとはいえ好きな相手と空を飛んでお姫様抱っこされてとか極濃の思い出をかまされたあげく3人の決着をつけさせるため1人泣きながら歩いて帰るなんてことしてこれくっそ引きずるでしょと思ったんですけど、この映画アフターケアが完璧なんですよね。
劇中あかねと慎之介が2人きりで話したあと、行ったことを確認したあかねが一人で泣くというシーンがあるんですね。
ここであおいはあかねが泣くのを初めて見て衝撃を受けるんです。
両親が死んでからあかねが隠してきた感情の一端を影から見てしまい、あかねが決してあおいに見せてこなかった感情をです、このシーンでもあおいのためにあかねがいかに完璧であろうとしていたかが見られるんですね。
また、しんのへの恋心を自覚したあとあおいはあかねに対し八つ当たりをしてしまい思ってもいないことをぶつけてしまうんです。
思っていることを隠し続けてきたあかね、姉の幸せを願う心を正直に晒すことのできなかったあおい。
その二人がですね。
エンドロールで流れてくるあかねと慎之介の結婚式の写真で姉妹向き合って泣いているのがあるんですね。
もう心の中では堂馬広登が「よく、頑張ったな」って言ってるし
どこからかUVERworldのクオリアが流れてくるわけです。
ちゃっかり映画の前奏長めバージョンです。
ああそうだよな、行き着きたかった終わりはここだよな。
これ作ったやつら、やるやん。
ってなったね。
総合評価80点。
大変美味しゅうございました。
最後になりますが相生あおいちゃん。
ベースを演奏する姿エウレカの操縦以来のかっこよさでした。
太め眉毛なデザインが非常に合っていて非常に凛々しい、いいキャラでした。
サウンドトラックにもあるガンダーラがいい感じにバンドやってる女の歌声って感じなのもなんかツボに入る感じ。
要はお前はグッドじゃない…
最高(ファンタスティック)!!
以上!!
コミケ96に行って死を買ってしまった
まぁタイトルの通りなんですけど、今日はこの同人誌を買うためだけに朝4時に起きて5時の電車に乗り東京ビッグサイトの前で3時間以上待つ体験をしてきたんですね。
昔ジャンプフェスタに行くために同じようなことをしていたことがあったけれど、コミケでは初だし大学入ってから睡眠とはベストフレンドだったのでなんでそんな人が多いところにそんなことしてまで行かにゃならんのだ皆どうかしてるぜなんて思ってました。
初めてコミケに行ったとき、どっから湧いてきたこの社会にいない奴らはと言いたくなるほど日常に存在しない「ザ・オタク」的な人種が、または他人を思いやる心を家に忘れてきてしまったのだろうかと考えてしまうほどにそれぞれの理由で動く無秩序な人々が大勢いることになんだか辟易してしまいました。
嘘です
本当は分かっていることでした。
ジャンプフェスタの時にも分かっていることなのです。
「その熱量に混ざれない」という自覚が不快感を生んでいただけなのです。
ただの被害妄想です。
そこに来る人たちはみんなその空間が好きだったり、目当てのものがあったり、何にせよ確固たる決定の下にその一員となっているのです。
私はそこに一員として加わることができないことに勝手な疎外感を覚え、また何故そんな奴がこの場に来てしまったんだと自分を責める他ないことをその場にいる人間のキラキラ感が低いと感じるがために責任を押し付けているのです。
「そこに本を出すという行為に必要な熱量、時間」を理解しているにもかかわらず、「それを理解しているが故に求めに訪れる人たち」の熱量を理解しようとしていない私は一体あの場で何だったのでしょうか?
もうコミケに関する話はいいよ。
同人誌の話をしよう。
今回買ったこの同人誌は友人が寄稿しているので購入したわけなんですが、まぁ端的に言ってドロドロという他ないです。
「自身のこんな恋愛経験が秒速と結びついてこんな感情を抱き続けている」っていうのが大体の人なんですけどそうですね。
率直な感想を申し上げると「俺も恋愛で死にたかった」ですかね。
交友関係の範囲では皆そういうのを察しているので私に恋愛話や男女の性について話題を振ってくる人はまずいないのですが、私自身が皆がそういう配慮をして会話しているんだなって感じてしまってからというもの「真っ当に生きていれば体験するはずのものがないためにそれに付随する獲得や喪失もない」というのが浮き彫りにされているのをよく思います。
例えば、秒速5センチメートルを見るにしたってこの同人誌に寄稿されている方と私では観点が全く異なるわけです。
「心の中に開いた穴を埋めていくのが人生」というのは僕の好きな漫画に出てくる考え方です。
秒速やこの本へ寄稿された方々は自身の失われた初恋について自身の感情を吐露し、既に自身の中で折り合いがついていたり、まだ引きずっていたりしながらこれを書くことで一つの区切りのような、決着をつけられているように感じました。
「恋愛の穴は恋愛で埋めろ」
好きなゲームでそんなことを言っていました。
自身の中の初恋と向き合うことで傷をほんの少しでも埋められることは、まだ何も先に進まないことよりはるかに良いことだと思います。
「たとえ思い出せなくても、それが有った事だけは変わらないから。」
私の好きな小説から抜粋した一節です。
秒速の秒速5センチメートルの
「かつてあれほどまでに真剣で切実であった思いがきれいに失われていることに僕は気付き、もう限界だと知ったとき、会社を辞めた。」
に共感し、自分の中の初恋が死んだのだと嘆くことは私にとっては違うのです。
人の永遠とはプラスでは決してありえない。
だから、新しいプラスを積み重ねていくことで人はその先の永遠を夢見ることができるようになるのだと思います。
誰にとっても、特に秒速に共感したあなた方にとっては特に、初恋はプラスの極致にあったでしょう。
今あれほどまでに抱いていた初恋が死んでいたというのは違うのです。
一人で抱えて10年膨れ上がっていたものだとしても、新しいものを足せないものに未来はないのです。
初恋が死んだというのならそれはきっと、貴方が初恋の相手から遠ざかった瞬間でしかないのです。
この話は決して、初恋を引きずり続けたことに対する批判ではありません。
あなたが生きながらに死を積み続けた時間は、貴方が囚われ続けてきた初恋は、たとえその本来の形、感情、意味を失ったとしても今生きている自身の道筋に在り続けるものなのです。
貴方が今、なりたかった自分ではないかもしれない。
でも貴方が今の自分を否定しきれないのならその道筋で落としてしまったものは、落としてしまったことは絶対に今の貴方を構成しているのです。
あなた方は今日この本を出したことでその存在を現在に確立させています。
それはとても良いことなのです。
多く傷ついたでしょう。
多く悲しみ、嘆き、怒ったでしょう。
でもそれをそのままで終わらせない選択を今日貴方たちはここで形にしたのです。
ここに綴られた生々しい感情も当然とても読み応えがありました。
そしてそれよりも貴方たちがこれを経由して歩んで行く未来に想いを馳せたいと思ったのです。
大変良かったです。
好き勝手な感想文を書いたわけですが、自分自身のことを話すと私には何もない。
自身の中に抱いた初恋やその相手が寄稿者たちの人間性を広くし、それが喪失されたことで穴を感じることと私の虚無感は物が違う。
先程から作品からの抜粋を入れているように私を構成しているものはきっと他人との繋がりではなく見てきた作品なのです。
寄稿者のように広がった部分の喪失ではない。
私の穴とは外壁を作品で補強した結果自分というものを見失いやすくなり、結果的に残ったものは外殻だけ。中身の伴わない何かなのです。
その穴にまた作品を入れて自分を何者かにしようとしているのが私の人生なのだと思います。
人は人と関わっていくことで自身と他者の輪郭を把握しそれを変えていくものなのです。
そうして出来上がった自身を作品を観るなどの人生経験で補強していくのです。
私は外殻だけが鍛えられていただけだと気がついたのは既に大学が終わるころ、昨年の2月でした。
友人の勧めでWHITE ALBUM2をプレイし様々なことに考えを巡らせるうちに、いかに自分がそうした他人との繋がりを怠ってきたかを自覚したのです。
「貴方はそこにいますか?」
こんなことを書いていても出てくるのは見た作品の言葉です。
果たして私はここにいるのでしょうか。
作品で立ち、作品で歩み、作品に打ちのめされ、作品で生きている。
自己肯定感がないのも当たり前です。
自己否定感が薄いのも当たり前です。
自己がないのにそんなものは強く持ち続けられるわけがない。
ただの空洞、ただの虚無。
まさしく死相という他ない。
きっと俺が未来を好きなのは、過去を省みたくないからなんだね。
しかし、そんなことを考えて人間社会生きていけるわけもない。
人間もどきは真っ当なフリをして、優しく接してくれる会社の先輩も、同僚も、コンビニの店員も、誰も彼もを欺いているような感覚を押し殺して生きていく他ないのです。
でもね、俺だって友人とかと遊んでいるときはそんなことを考えなくていい、きっとそこに自分がいるって思えるんだ。
だから俺は俺の周りにいてくれる人を大切にしたいんだよ。
許されるのなら、求めてほしい、誘ってほしい。
具合が悪くなければ行くから(夜更かしをやめろ)。
蒼穹のファフナーと自分
○○と自分って書いてる作品は今の自分を構成するうえで欠かせなかったと感じる作品なんだけれど、そのなかでも蒼穹のファフナーは苦しさを乗り越える糧だと思う。
最初蒼穹のファフナーに触れたとき俺は「つまんないエヴァじゃん」って思っていたんだけれど、それは一期で一騎がマークザインを手にするあたりからガラッと変わった。
その後も楽しく見ていたんだけれど、なんと大学一年の暮れ頃に2期をやるとなったのでバイトの給料を使って劇場版のBlu-rayを購入して二期に備えたりした。
でその二期「蒼穹のファフナー EXODUS」は2015年の1月〜4月頭(冬アニメというやつ)、10月〜12月(秋アニメというやつ)にやったアニメで、時間が金曜の深夜26:25〜と遅い時間だったけれど、その頃俺はバイトで帰ってくるのも遅かったので日付が変わる前に帰宅してご飯を食べて風呂に入ったりしているとちょうど1日の終わりとして見られる(1クール目はその前にGレコをやってたのでさらに都合が良かった)。
それで、なんでこのアニメが苦しさを乗り越える糧になったのかなんだけれど、あの頃はとにかくひたすらに新しい環境に慣れることに必死だった。
やるべきことも多くあったし、やりたいことも負けないぐらいあった。
今にして思えばあの頃は俺にとって今後生存できるかの節目だったんだ。
あの頃頑張ったから大学卒業できて、社会経験も積めた。
高校まではただアニメとか漫画とかゲームとかコンテンツ消費マシーン以外になれなかったけど、大学入ってからは違った。
受験期よりちゃんと勉強してたしね(やりたくて受講してるものばっかりなのでそんなに苦ではない、結構楽しかった)。
そうしてこれまでよりマシになれたのはなんと言っても今までと違う人間関係を築けたからに他ならない。
高校までの友人は、まぁそりゃそうだろって話だけれど同級生しかいない(帰宅部なので、特に仲のいい先生とかもいない これは本当に後悔してる)。
大学に入ってからは同級生と、サークルでは先輩や後輩と、バイトでは自分の倍以上生きてるような人とも日常的に関わりを持つようになった。
この経験が俺を著しく成長させてくれたのは間違いないけれど、やっぱり慣れないことは疲れるもので、拠り所を求めていた。
俺が明日を生きるための道標、生き方を踏み外さないための命綱、そして何より楽しい。
本当はそういうのを自分の中に持っていたり、他人に求められればそれが一番いいんだけどどうもそういうの苦手で。
履歴書に自分のいいところなんて書きたくないしそんなこと考えたくないし、なんなら上手いこと使い潰してくれれば楽なのにみんな優しくて、そんな世界がなんだかんだ結構好きなんだなって思う。
そう思えたのはきっとファフナーのおかげなんだ。
生きていたいのも俺だし死んでしまいたいのも俺だ。
愛おしく思うのも憎らしく思うのも全部全部俺だ。
そしてそんな俺が生きている世界があって、そこには嫌なことも酷い奴もたくさん存在してて、でもやっぱり美しいものがあって優しい人がいて俺はそれを否定したくないって思った。
そうやって世界の好きなところを見つけて生きていきたいって思えるようになった。
その考えを後押ししてくれていたものの一つがファフナーだった。
あなたはどう世界を祝福するの?
その言葉が胸にある限りは、世界を好きだって言える。
そんな気がする。
そうしていたい。
仮面ライダーアマゾンズ season2
「死にたくねぇって思ったことあんだろ」
「毎日ですよ」
「生きたいって思ったことあるか?」
「えぇ?おんなじでしょ」
仮面ライダーアマゾンズはAmazonプライム・ビデオオリジナル作品。
season1をざっくりと解説すると
・人間のタンパク質が好物のアマゾン実験体4000匹が事故で野に放たれた(普通のタンパク質でも生きていけるが人間の味を覚えたアマゾンはもう戻れない/食欲に勝てない)
・アマゾン実験体を作った野座間製薬はこれを秘密裏に処理するため駆除班を設立しアマゾンたちを狩っていく
・野座間製薬の重役である水澤令華は自身の遺伝子とアマゾン細胞を掛け合わせ第3のアマゾン、水澤悠(仮面ライダーアマゾンオメガ)を作り出す←season1の主人公
・アマゾン実験体たちを作り出した張本人である鷹山仁は自身にアマゾン細胞を取り込み第2のアマゾン、アマゾンを狩るアマゾン(仮面ライダーアマゾンアルファ)となる
・人間として生きてきた水澤悠はアマゾンに目覚めたことで駆除班に合流しアマゾン実験体たちを狩っていくなかで自身の立ち位置を考えるようになっていく
・鷹山仁は唯一の協力者、泉七羽と共にアマゾンを狩っている
・死者にアマゾン細胞を加えた第4のアマゾン、シグマタイプが作られ、悠と仁は協力してこれを無力化するが、これまでの経験からアマゾンも命だと考えるようになった悠はアマゾンを殲滅するトラロック作戦を機に駆除班から離脱、生き残ったアマゾンたちと共に去る
という話だった。(長ぇよ)
まぁseason1もグロテスクな表現がなかなかにあり話も安定の小林靖子でよかったよ?
命のあり方について考えるの楽しいし。
でもこれから書くseason2は最高だ。
なんたってボーイミーツガールだからね。
容赦のない話は楽しい。
①キャラクター
まずは主人公の千翼。
彼はアマゾンに育てられた少年であり、自身を人間であると主張するが彼は仮面ライダーアマゾンネオに変身し駆除班チームXの一員としてアマゾンを狩り生活している(当然の話だがアマゾンズの世界で仮面ライダーとはベルトを使ってアマゾンの力をより制御しつつ引き出す者たちのことであるため、変身できる=アマゾンである、悲しい化け物だね)
日頃はアマゾンとしての本能を忌避するため食事という行為そのものを組織から提供される栄養ゼリーで補っている(咀嚼がダメなんだろうね、クレープ食べて吐いちゃう子だよ)が、女性の腕を見ると強い興奮を覚えアマゾンとしての本能(人肉食衝動)に駆られてしまう。
要約すると
「人間として生きたい化け物」
次にメインヒロインのイユ。
彼女は「死体にアマゾン細胞を入れられ甦らされた元人間」、前述したシグマタイプのアマゾンであり、感情を失い自由を失いただアマゾンを狩る道具として駆除班にいる少女だ。
彼女を見た千翼は初めて「食べたいと思わない、純粋に守りたいと思える存在」だと思えた。
イユといることで「普通に生きられる」と思い彼女に接触していくが、イユは命令に従うのみで人間らしいところが全くない。
怪物の方が人間らしいなんて皮肉だね(それでもお前は怪物だ)。
何故彼女がこんな目にあってるのかはこの話の根幹となるキーワード「溶源性細胞」について説明しないといけない。
他のキャラは全部愛の逃避行の邪魔だと思っていただいて結構です(長瀬以外)。
②溶源性細胞
短くまとめると「人間に感染するアマゾン細胞」。
これにより1st seasonでは一部のイレギュラーやシグマタイプを除き上限が定数だったアマゾンがいつどこから発生してもおかしくなくなってしまった(地獄)。
2nd seasonでのストーリーはおおよそ
①アマゾンの駆除(元のアマゾン、溶源性細胞によりアマゾンになったやつ、イレギュラーども)
②溶源性細胞の出所の特定、排除(溶源性細胞は伝染しないため、オリジナルがいる)
を中心に動いている。
ある日突然隣の人が人食いの化け物になる恐怖、一体何が原因なんだ…
そしてイユの過去についてなんですが、まぁ父親が誕生日パーティーでいきなりアマゾンになってママもお姉ちゃんも自分も食い殺したからこんな目にあってるんですね。
溶源性細胞絶対ぇ許せねぇ…!!
そんな殺伐とした状況下で女の子のために頑張ってる千翼くんに速報です!
溶源性細胞のオリジナルの一部が手に入りました!やったね!
で調べてみたら君の細胞と一致したよ!!!
そうだよ、お前だよ。
じゃあちょっとこっち来てもらおうか。
③愛の逃避行
そんなわけで全ての元凶が千翼だとわかり(主人公やぞ)、話が通じるうちに穏便な方法で解決を図る組織(研究に使いたい)(映画やドラマでその手の危険物を取っておこうとして成功した試しがない)。
冷凍保存する容器に入れられた千翼が最後に見たものはイユ。
ここでおさらいです。
千翼がイユに惹かれた理由とは?
そう、「食べたいと思わなかったから」ですね。
これ、つまるところ「本能的には欲していない」からですね?(本能的には人間=エサに見えてない)
しかし、ここまでの思い出がそれを変えてしまう。
「イユともっと一緒にいたかった」という思いが、愛という本能が、彼女を求める。
「俺…今、初めて、お前のことが欲しいと…!」
目醒めたオリジナルの力、地獄とはこのこと。
千翼は本能のままにその場にいる人間たちを虐殺する。
もはや保存などとは言っていられなくなった組織は千翼討伐を始める。
人間として接してたら本能で欲しちゃうのは当たり前だけど、お前が本能で欲したらそうなっちゃうもんね、可哀想だね、お前が異形のバケモノだ。
逃げ惑う千翼、味方は1人もいない。
一緒にいた人たちも、実の父親も、人間もアマゾンも守りたいと言ってた男ならも、誰も彼も。
はい、父親って誰やねんって?
それこそがアマゾンを狩り尽くすため自らもアマゾンとなったアマゾンアルファ、鷹山仁その人だね!!
千翼はアマゾンと人間の間に生まれた存在だったわけだ!!!
今更そんな謎どうでもいいとかいいなさんな。
人に感染するアマゾン細胞、そのオリジナルの危険性は重々承知してくれたはずだがそれを産んだ母親は?どうなったのか?
こんなのを10ヶ月腹に入れてて大丈夫なわけないよな?
オリジナルは一体じゃなかったのだ…
自分で全ての決着をつけると誓い必死に戦っている父、それに寄り添った結果バケモノを産んで自分もバケモノになってしまった母、その子供。
どうすんだよこれ……
(これはどうでもいいことなんですけど、2nd seasonの水澤悠がどこか1つの味方をするでもなく自分の考えであちこちに現れ敵を倒していく様から水澤ストライクフリーダム悠って呼ばれてるの好きです)
実は一人だけ、千翼の味方をしてくれる奴がいるんですけど(さっきなんの説明もしなかった長瀬)、度々千翼のために行動してくれるわりに千翼は自分のことで手一杯で長瀬にあんまり反応しないんですよね。可哀想だね。
どうでもいいけど千翼は当然だけどまともな青春なんか送っていないのでデートするならどことかそういうのもまるっきりないはずなんだけどイユと一緒に遊園地に行く回があるよ(そこでクレープ食べて吐いた)。
おわかりでしょうか。そう、駆除班チームXのリーダーだった長瀬およびその仲間は決して千翼にとっていい奴らではなかったけれど唯一人間的に接して、その当然を与えていた存在だったわけです。そんな物語上の役割を背負っているので彼はたとえ千翼が本物のバケモノであっても人の当然として感情移入し守ろうとするわけで、千翼はそれを人間的に受け止められてないわけですね。
悲しいね、バナージ。
一対一のイユとの戦い。
イユと生きるためにイユと戦う、千翼はただ生きようとしているだけだ。
それが何もかもを犠牲にすることをわかっていながらもただ生きたいと願う。
そこに現れる父親、当然千翼を生み出してしまったその責任を果たすためだ。
戦いは父親が優勢であり、千翼もついにその命を終えるかと思ったとき、イユが動いた。
父親に殺されたイユには、千翼の痛みは自分のことのようだと感じられたのだろうか。
危ないところを好きな女の子に助けてもらえてよかったね、ここからが愛の逃避行だよ!
組織の偉い人「イユは安全装置を使って廃棄処分にしろ」
そうとは知らず一緒に逃げてる二人、教会で一息ついてイユはきっと昔みたいにパパとママとお姉ちゃんと暮らしていた頃を取り戻せるって思っていました。
感のいい人はお気づきでしょうか。
パパとママとお姉ちゃんとの記憶が繋がって思い出すものな〜んだ?
家族との最後の思い出な〜んだ?
そうです、「パパがママとお姉ちゃんと私を食べた記憶」です。
記憶が繋がってしまったイユ、平常心ではいられなくなる。
パパとママとお姉ちゃんと…
パパとママとお姉ちゃんと…
パパとママとお姉ちゃんと…私…
必死に父親に対抗しようとするイユ、当然それは死ぬ直前の感情の再現だ。
恐怖に駆られた彼女はアマゾンへと変身し教会に突入してきた組織の兵隊、千翼にも襲いかかる。
事情がわからない千翼は困惑するばかり。
イユの変身が解除され、同じ言葉を呟きはじめる。
パパが食べたのは私…
痛かったのは私…
パパが食べたのは私…
痛かったのは私…
パパが食べたのは私…
痛かったのは私…
死んだのは……
自分の一言からイユは過去の自分と繋がれたよ、やったね千翼!!!!!!(地獄三昧)
この作品はこのように「よかれと思ってやったことが巡り巡って最悪に転がる」ことがよくある。
監督、脚本家は悪魔か?
なんで、俺たちは生きてちゃダメなんだ…!
人間的なものを求めたり、取り戻したらこれですよ。
でもこいつら悪くないんだよな、生きたいと思うことが罪だなんて言えないもんな。
せめてイユの廃棄処分はなんとかしようと組織の本部に乗り込む千翼。
立ちふさがる人間は容赦なく肉塊にしていくその姿、もう人間として振る舞うことを完全にやめてしまったようだった。
結局、イユを助けることもできず逃げ去る二人。
最後の時を過ごす二人。
土のケーキを作り、もう動けないイユをおぶり彼女の思い出の歌を歌う。
父親が幼いイユをおぶって歌っていたあの曲、あの楽しかった日々を思い出す。
千翼、私楽しい
最期に笑顔を浮かべ逝った。
千翼は彼女に笑顔を取り戻せたのだ。
人間として死なせてあげられたのだ。
イユをおぶったまま進んでいくと、父親と悠、2人のアマゾンが待っていた。
君の存在は危険すぎると、全ての責任は俺にあると、だからこの手で母さんのところへ送ってやると。
千翼も納得している。でも、それでもひとつだけやり遂げたいことがある。
わかった。でも俺は最期まで生きるよ。
泣きそうな笑顔で自分の運命を受け入れ最後の戦いが始まる。
その場には燦々たる血の跡と、そして千翼とイユ2人の腕輪だけが寄り添うように残された……
どうですこのストーリー……
これ2人に焦点合わせまくったのでまだまだ全然見ても楽しいよ……
仮面ライダーアマゾンズシリーズはAmazonプライム・ビデオビデオで全部配信中だから入ってる人は是非見て2nd seasonの主題歌DIE SET DOWNのサビ前に「いやオーイェーではないが」ってつっこんでくれよな。
劇場版 Fate/stay night Heaven's Feel Ⅰ〜Ⅱ
以前Fate/EXTRA CCCについて話をして、このゲームが好きだと語った。
実はFate/EXTRA CCCとは元々エロゲーであったFate/stay nightの陽の面(FateとUBW)(言うほど陽ではない)をFate/EXTRAとした時に、陰の面(HF)を作ろうとなって動いたもの。
そのためサクラファイブ(原案)が出てきたり、SGなどの露出度が高い、というか裸の絵が多くなっている。
ゲームの進め方が「心の奥底に隠された秘密や感情を暴く」という点と合わさり淫靡でインモラルな雰囲気になっている。
自身のサーヴァントや敵の女の子の秘密をゲットして精神的にも絵的にも丸裸にしよう
男もできるよ!
で、そんなゲームの元になったFate/stay nightに戻るんだけれど、HFは上記の要素を持ちながら、もともと聖杯戦争成り立ちなど聖杯戦争に関する情報を開示するためのイリヤルートがあったがそれが桜ルートと統合されているため話自体も長いし、拾われる要素も、登場するキャラクターも多い。
そんななかでこの映画では特に
①間桐桜の抱える心情
②間桐慎二の抱える心情
に要点が絞られた構成になっている。
もちろん他にもイリヤ→士郎の感情とか凛→桜への感情とかアーチャーの立ち位置とかそういった点への配慮および考察具合も凄まじいが、やはりこの三点に勝るものはない。
これから見ようと思っている場合にはとにかくこの三点に注意を配っていれば話の流れを追いやすいんじゃないかなと。
①間桐桜の抱える心情
桜にとって
士郎→憧れの人、そばにいてほしい相手
慎二→可哀想な人、逃げられない相手
凛→助けてほしい人、誰よりも嫉妬する相手
というのを見てて思う。
このなかでは士郎が一番わかりやすいし、物語の根幹なのだけれど、桜からで一番いい表現がされてるなぁと感じるのは凛。
凛は学校のアイドル的存在として(表面的に作られたキャラだけど)一定以上の地位を築いているし、遠坂家の当主として魔術も非常に優秀。
凛を表すのですごいよくできてるなと思うのが「他人が苦戦することをなんともなくやりとげるが他人がなんともなくやりとげることを苦戦する」みたいなやつ。
そういうところが桜にとって一番妬ましいところで、桜が欲するものを本人はそこまで望まなくても手に入れている。
それは遠坂家の人間という立場だったりもするけれどこの映画では特に士郎との関係にある。
学校では士郎は結構凛に憧れを持っていて、初対面の段階で士郎は桜を知らなかったけど凛は知ってたとか士郎の中での初期値の高さがある。
魔術師としても桜は自分が穢れた魔術師であると士郎に知られたくないためそうであることをひた隠しにし一般人として士郎に守られる立場を選んだが凛は魔術師であることに誇りを持っているので常に堂々としていて(優雅たれ、みたいな話をするとやはりそれが出来ていない桜悲しい)聖杯戦争の正規参加者として士郎と対等な立場=パートナーになっている。
聖杯戦争が始まり、そして凛も衛宮邸に顔を出すようになったことで士郎の周りに凛がいる時間が格段に増える。まぁ嫌でしょうね桜。
そういうのあんまり顔に出さないようにしている空気を感じるけど漏れてるぞ(士郎から凛の話題が出た時、士郎と凛が一緒にいる時の桜の顔を見よう)。
桜は2章までの段階で無意識下で聖杯の中身と繋がり影が一人歩きしたりするようになっているけれど、その影も結局は桜の心の奥底にあるものから来ているわけで、2章までで桜は計3回凛を殺そうとしているんですよね。
(1回目は1章、士郎&凛陣営が臓硯と戦ったあと影はサーヴァントを取り込むためではなく明確に凛を狙った攻撃をしてくる
2回目は2章、慎二のせいで魔力が暴走した結果針が伸びて突き刺さる時限爆弾のような塊が凛の目の前に出現
3回目はバーサーカーがセイバーオルタに敗北し、イリヤを守るために追手のアサシンをアーチャーが追い払い合流しようと気を抜いたその死角から攻撃をしかける)
これ、まぁ説明文的にもわかる通り凛は士郎と一緒にいた時にやられてるわけで、さらに言ってしまうと全部士郎(アーチャーも未来の士郎だし)に助けられてる。
どれも意識的に桜がやったわけではないんだけど、それが余計にそういう感情を隠しているんだって表現になってて妬みの強さがすごい。
桜はそういうマイナスな感情は全般的に抑え込むタチなのではっきりと口にすることってほぼないんだけど、1章では士郎に「もしわたしが悪い人になったら許せませんか?」と自身の穢れを、それで何かやってしまった先の受け皿を士郎が担ってくれるという安心を得てるシーンとか、2章の土蔵で士郎と凛があの夕暮れの校庭(1章で桜から士郎を初めて知ったシーンについて、慎二から、間桐家からではなく桜個人で士郎と繋がりができていた思い出になっていることが語られる)について話しているのを聞いてしまい「私から先輩まで奪わないで…!(うろ覚え、正確にはその思い出まで奪わないで的な言葉だった気もする)」と泣くシーンでは意識がある状態で口から出てた。
2章の方ではこの一件で「士郎を汚したくない(自分と同じ側に立たせてはいけない)」という思いからそこまでは、望んでいても、しなかった桜が凛が関わってきたことでその自制を越えて士郎と繋がりたいと行動に移す。
まぁそれ自体は愛憎劇的にはそれなりによくあるものだと思うけれど、問題はその後で、凛と桜は同じ家の生まれだったけれど魔術師としての考え(その家の魔術は一子相伝なので優秀な魔術の素養を持っている桜がこの家にいても何もしてあげられないという考え。馬鹿野郎、子供にとって家族がいる家にいることより大事なことがあるか)から桜は間桐家に養子として移り、遠坂家と関わることを禁じられてきた。
第1章でも桜は決してそこを破らず「遠坂先輩」とさも他人のように振る舞う(士郎から鍵を貰った時に「大切な人から大事なものをもらったのは、これで2度目です。」と言うぐらい凛のことは常に彼女の中で大きい存在)。
そんななかである朝桜は凛に向かって「姉さん」と呼びかける。
まぁ好意的に解釈すれば離れ離れだった姉妹が生活を共にしてついに歩み寄れた感動のシーンなんですけど、桜がこの行動を他ならぬ「凛」にできたっていうのがこれまでの桜→凛の感情からは考えられないんですね。
ここで士郎と結ばれた心の余裕が生まれるので、その後のシーンで凛のことを「姉さん」と呼べるわけです。
劇場版Fate/stay night HF パンフレットより須藤監督インタビュー
はい、凛に士郎を取られるという焦りから身体を重ねた桜は重ねられたことで羨望と嫉妬と劣等感の対象である凛(こちらからではなく向こうから来て何かして欲しい)に自分から歩み寄れるだけの余裕を手にしたわけです(それらを上回れるほど満たされた)。
もぉ〜〜とにかく好きだけど大っ嫌いだし助けて欲しいお姉ちゃんに対するこのドロドロ具合がよく表現されてる。
たまんねぇぜなぁおい。
②間桐慎二の抱える心情
慎二にとって特に重要なのは
士郎→馬鹿なやつ、使えるやつだけど自分より下
桜→馬鹿にしやがって、僕が間桐家の魔術を継ぐんだ
というのが見ていてわかると思う。
慎二は魔術師の家系に生まれながら魔術の才能、というか魔術を使うために必要な魔術回路がゼロ……
魔術師の家系なのに魔術が全くできないことが彼にとって一番辛い状況を生んでいる。
他のことに関しては実力でトップクラスになれるのに魔術はからきし、そして魔術師の家で魔術以外の要素なんてどうでもいいわけで、間桐家にとって慎二という存在ははっきりと「いらない子」でしかない。
他の家から引き取られて来た桜を最初のうちは可哀想なやつだなと思っていたが、桜は自分が間桐の魔術を継げないのでそのために来たのだと知ってしまうと家族からは使えないやつとして扱われ、そして桜からも「可哀想な人」だと見られることで慎二の性格はどんどんねじ曲がっていった。
そんななかで魔術師であることを隠して(そもそも使えないので魔術師ではないのだけれど、それでも彼は自分をそのくくりに入れていたい)の生活、学生生活のなかで士郎と出会いしがらみもなく、適度に優越感を得られるその関係は当時の慎二にとって何よりも心休まる時間だったんだろうな…
で、本編では士郎と体育祭や修学旅行?など中学時代はかなり一緒に行動していたのがアルバムの写真からわかるんだけど(これを商品化するのほんと何してくれんだよ感すごかった、2章初日に見にいって桜の鍵買おうかなって思ったのに売り切れてた 悲しみ)、反面高校に進学してからは慎二が士郎と写っている写真はパタリとなくなる。
士郎は弓道部を1年生の夏頃に退部するけれど、その前に怪我をした士郎の家に桜が訪れるようになる。
士郎の怪我に対する慎二の態度は他のどのシーンの怒りとも違う、見ればわかる。
士郎に対する特別感情すぎる。
来た理由には蟲爺の薄汚れた思惑もあるけれど、メインは士郎の家事手伝い。
ちょっとその辺どうだったか忘れたんだけど、慎二なりに士郎に対して気を遣ったんじゃないかなぁって思う(お前今怪我してるだろ?だからさ、しょうがないから妹を貸してやるよ衛宮 みたいな)。
その頃の慎二にとって士郎より親しい人間とかいないでしょ。彼なりに大事に(そのつもりはなくても)しちゃうでしょ(同時に桜に対する大事にしてなさが滲み出る?)。
で、そのあと怪我が治ったけど火傷痕が残ってること、バイトが忙しくなるという理由から弓道部をぱったりやめる。
ここの慎二が何を思ったかって、2章で士郎はそれをしないって散々言われていたけれど、やっぱり裏切られたと思ったんじゃないかなと。
そこからはひねくれ慎二なので日常での交流もそっけなくなる。
対して桜は士郎と触れ合ってどんどん人間らしさを取り戻して行くんだから気にくわないだろうなぁ。頭の中では「もうあんなやつ、どうでもいいよ」とか思いながらもなんかいつもイライラしてそう。
でもって桜が高校入ったらまさかの弓道部入り。
一番いて欲しかったやつが消えたら一番きて欲しくなかったやつが来た。
慎二はスペック高いので弓道もかなりできる奴だけど、桜に弓道で勝ったところで結局魔術関連はあれだし桜のことだから「兄さん弓道上手ですね」とかナチュラル逆撫でしてそう。
そんなこんなで聖杯戦争が始まると桜に令呪発現ですよ。
俺だったらやってられませんわ。
でも慎二くん必死の訴えで桜の令呪を使った偽臣の書(詳細は下のを見て)を作ってライダーのマスター(仮)になれたよ、よかったね慎二くん(桜がやりたくなかったのと蟲爺さんがやる気なかったからやらせて貰えただけ)。
これ以上ないぐらい簡潔にまとまってた
気を良くしたので同じくサーヴァントを従えていた士郎(同じくではない、彼は本当のマスター)に共闘を持ちかけるが決裂。
そんじゃ、いっちょ本気でやり合いますかね……ってバトルムードを出したが瞬殺される(これはライダーってサーヴァントが弱いわけでもセイバーが強すぎるわけでもなく単純に慎二がマスターとして弱いから、そうだよお前のせいだよ)。
ようやく魔術師としての道を歩めるかと思われた慎二くんだったが一瞬で全部崩れた。
蟲爺にも呆れられ燃える偽臣の書、逃げる慎二。
かわいそ…
その後も危ないので(本当は危なくないが)士郎が桜を家に泊めると士郎の家まで出向いてくる。
士郎を煽り怒らせるんだけど、ここ、まずさっきのシーンでサーヴァント同士の戦いでは一方的にやられた慎二は士郎に反撃までしている。
好意的に捉えると士郎と慎二の関係は結構対等って思えるけど、同時にこれ魔術の舞台になるとどれだけの隔たりがあるのかっていう表現でもあるような気がする。
そして、自分に対して激しい怒りを向ける士郎を見てめちゃくちゃ楽しそうな慎二。
士郎に対する特別感情すぎる(2回目)。
で、2章になると影や蟲爺の対処が士郎と凛チームの主題になるので慎二の出番は1章より少なく感じるんだけど(蚊帳の外とかいうのはやめてあげよう辛辣すぎるぞ)、前述の偽臣の書をまた作って桜を人質にもうセイバーのいない士郎を学校の図書室に呼び出すっていうシーンがある。
ここではライダーを使って士郎をギッタンギッタンにしてやるつもりでニタニタしてた慎二くん。
しかし、しばらくの一方的な暴力の後ライダーの鋭い蹴りで吹っ飛んだ士郎は慎二に向かって殴りかかる。
サーヴァントの身体能力は普通の人間には耐えられるわけもない威力、どうして無事なんだと狼狽える慎二。
士郎は蹴られたはずの腹に魔術で強化した本を入れていて、それで防御していたことを明かす。
このシーンのね、慎二の「魔術……」が辛すぎるんですよ。慎二には絶対にできない方法でこの状況を乗り切ったわけですからね。
もうここ楽しすぎて変な笑い出そうになった。
そこにアーチャーと凛が駆けつけ、二体のサーヴァントが睨み合う形になる。
ここでついに桜がライダーの本当のマスターだと明かされる(偽臣の書、また燃える)わけなんですけど、それぞれの立ち位置が下のようになります。
桜
ラ
士 慎
ア
凛
おわかりいただけただろうか。
今この場にいるのはまずサーヴァントが二体、次にマスターが2人、そして元マスター1人と『『『一般人』』』1人。
へへへ……楽しくなってきやがった………
ここから色々話が始まるわけなんですけど、演出が!!!!容赦ない!!!!
何が容赦ないってね、魔術師連中を画面の手前に置いてピント合わせるんですよ。
奥にある慎二くん、何か喋ってて動いてるんですけどよく聞こえないしピント合ってないんですよ。
もう、この場において誰からも眼中にないんですよ。
凛はどっかで慎二のこと「人畜無害」って評するんだけど、無害っていうか、もう同じ土俵にいるものとして見て貰えてない………
それでキレた慎二くんのおかげで桜は魔力が暴走して前述した凛殺害未遂になるんですけど、まぁそれは置いておこう。
そんなこんなでもう何にもならない慎二。
そして最期は……
士郎に対する慎二の感情、絶対もっと煩いやつなんだけど悔しいことに掴みきれねぇ……
助けて慎二理解全1マン神谷浩史……
そんな感じで士郎という一個人に対する複雑な感情と魔術師全般に対する(まぁ特にそれが顕著なのは桜)劣等感が見てて楽しいんじゃ……
最期って書いたからわかると思うけど、そうだよ。
これがね、一番根幹なんだけど言葉にし辛い……
言ってしまえば士郎は誰のことだって守るし、誰だって助けるような奴(そこがおかしいよね?って話がUBW)。
そんな衛宮士郎が桜という一個人に対してどんな感情を抱いているかっていうのはなによりも劇中で大きな変化なわけなんですけど、そのせいで一言ではいい辛い。
始まりはただの友人の妹、怪我をしたので家事の手伝いに来てくれた。
そうしているうちに生活の一部になって、彼にとって日常の象徴になった。
そんな日常の象徴である彼女を聖杯戦争なんかに巻き込むわけにはいかない士郎は兄の慎二が桜に手を出さないように自分の家で匿ったりするわけなんだけれど、これ、序盤も序盤でありながら既に桜を特別扱いしているところがある(状況からくるものなので軽微ではあるけれど)。
士郎は基本誰にでも優しくできる奴なので、1章ではここからそこまで変化はない(と感じた)。
まぁ1章の最後で相棒であるセイバーすら失った士郎が家に帰るとそこには桜が待っているというので演出によるカバーが入っていたらする程度という印象。
士郎から桜への感情が大きく動く(のを彼が自覚する)のは何よりも、「レイン」だろう。
慎二の行動により魔力が暴走した桜は紆余曲折ありこの町にとって危険な存在であると断定されてしまう。
ここらへんの凛の感じもすごいいいんだけど、まぁ今は士郎の話をしているので、先に進むと、士郎は桜を探している中でイリヤと出会い自分の向かう方向性の選択を迫られる(本編でない方を選ぶと鉄心エンド)。
そして、これまでの士郎とはまるで違う生き方、UBWで指摘された矛盾のない生き方、誰かではなく救いたい人のために戦う正義の味方になる生き方を選ぶ。
こうして他のルートとは明確に違う「桜だけの正義の味方」になった士郎は桜のことを第一に行動するようになるわけだけれど、蟲爺に呼び出され驚愕の事実を突きつけられる。
桜は聖杯の中身 = この世すべての悪と繋がりまさしく人類にとっての悪であると。
それを聞いた士郎は激しく動揺し、一度は桜を殺そうとするものの桜との思い出が心に溢れ泣き出す。
そうして再び桜だけの正義の味方になる決心をして中止する。
ここのシーンも、士郎がこれまで全く見せることがなかった表情を出す。
そう、桜が関わるシーンでは他の場面で見せることのない人としての感情が士郎に濃く現れる。
このシステム感動した。
他のルートでは最初こそいたけれど戦いが激化する頃には気がついたら全然見なくなってたキャラだったけれど、それが深く関わってることで他のルートでは決して成し得なかった主人公への影響力を持つ。
お話作りが上手いなぁ!!!!
最初こそは日常の象徴でまとめられるんだけど話が進んでいくと複雑になりすぎて簡潔にまとめる術がわからない。
よくわからんが好きだよそういうの。
そんなこんなで桜がついにああなっちゃって士郎〜早く助けてくれ〜〜〜という2章の終わり。
最終章では麻婆があれやこれや腕があれやこれや凛があれやこれやイリヤがあれやこれやして見せ場がめちゃくちゃ多いが時間に収まるのかなんなら5時間ぐらいの映画になってしまうんじゃないかいや須藤監督ならやってくれる俺は信じるという感じで、
来年春、この映画のラストを見届けた後に花見をしてくれる人を募集しております。
桜、見に行こう…?