俺が言ってるのは幻覚かもしれんけど新海誠作品に人の輝きは確かにあったと思う。
君があの時失ったものはもう返ってこないがそれでもそこからの12年間は輝いていた。
大切な人がたくさんできたよ。
貴女を好きになってくれる人がたくさんいたよ。
君は光の中で大人になっていく、それは決まっているんだ。
ああ───それはなんて待ち遠しい、希望に満ちた──────
「『すずめの戸締まり』の話」をします。
だから気に入ったって言え。
2022年11月11日、新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』が公開されたので初日に見に行きました。
皆さんご存知、「性欲異常者シンカイ」の新作です。
「秒速5センチメートル」を見たあと来たこともない駅に降りてあてもなくふらふら歩き回ったり、「言の葉の庭」のBlu-rayを買ってしまったり、「君の名は。」を劇場で何回も見てしまったり、「天気の子」にブチ切れたりしてきたわけですがここまできて一つの結論を得ていました。
「君の名は。はシンカイの性癖を周りの人間がマイルドに味付けしようとした結果生まれた奇跡だったんだ、俺は本当はそんなにこの人の作品性が好きじゃないんだ」
何故なら君の名は。で一番好きなのは恋愛についてではなく、まして最後が秒速の展開を匂わせながらのハッピーエンドだからでもなく、人が今そこにいない人の意思に背中を押され強く決意を持って立ち上がり事を成したその姿が好きだったからです。
傷つきながらも立ち上がる、それは自分が独りじゃないから。
人との繋がりを胸に困難に挑むのは見てて気持ちのいいものです。
でも新海誠の作品というのはどちらかといえばすれ違い、抗えない現実や別離が主軸の見た後に物寂しさがあるようなものが多い印象です。
物語の始まりではなく終わりは微かな寂しさってことですね。
そんなわけで「すずめの戸締まり」もまぁそんな感じだろう、でもまぁつまんなかったらそれはそれでネタにできるぐらいの映画ではあろうぐらいの気持ちで見に行ったわけです(初日の朝に行きながらも)。
そうしたらお前どうした?
物語の根幹がかなりセンシティブだからこそこの作品をちゃんとエンタメとして成立させる要素が必要だと思いいろんな要素がめちゃくちゃバランスよく成り立ってハッピーエンドにしてんじゃん!!!!!!!
まぁ見終えたあとインタビューを読んで「君の名は。はもう今の自分には作れない(恋愛にあそこまでの強度を持って作れなくなっている)ので今の自分でなければ作れなかったものを作った」みたいなのを見てわかってしまいましたね。
作家の精神性が変化して作品に影響している、それでいて根底にあるものはがっちりしてる。
人間の可能性を信じながらも愚かさをも持つことを否定できずだからこそ自分がやるべきことはと作品を作る富野(個人的見解)、自分の趣味を全力で押し出しているように見えてその実本当に作品の土台となっているのは弱さと向き合うという人間的幼さからの脱却と成長なんだとようやく打ち明けてくれた庵野(個人的見解)。
新海も彼らと同じだったんですよ!!
オタク与太話はもういいや。
すずめの戸締まりが面白いって話がしたいんだよ俺は。
ざっくりとあらすじを説明すると
九州に叔母と住む少女、岩戸鈴芽(いわと すずめ)はある日謎の男、宗像草太(むなかた そうた)に出会う。
廃墟を探し扉を閉めるために来たという意味不明なその男が気になり廃墟へと入り込むとこの世のものとは思えない綺麗な星空が扉の向こうに広がっているのを見つける。
扉の近くに謎の石があるのを拾うとそれは猫へと姿を変え逃げてしまう。
意味がわからずその場を逃げ去り学校に着くとあの扉があった廃墟の方から謎の黒い物体が伸びていくのが見える。
慌てて廃墟に戻ると黒い物体が飛び出している扉を草太が必死に閉めようとしていた。
黒い物体がこの世に出てきてしまったのを放置するとそれが地面に叩きつけられ地震が起きるのだという。
2人はなんとか扉を閉じることに成功するが先程逃げた猫によって草太は子供椅子と同化させられてしまう。
草太は扉を閉じ、災害を抑える役目を担っているが椅子のままではそれが果たせない。
責任を感じた鈴芽は草太の体を元に戻すため猫を追い、椅子となった草太と旅に出ることになってしまった。
みたいな感じですね。
この映画はおおまかに
①出会い、旅立ち
②各地での戸締まり
③草太を救うため自分の過去と向き合う
という構成になっているのもわかりやすくまた見応えがあります。
最初の演出と最後の演出が家の鍵を閉めて出かけるとやっていることは同じなのに映画を通して深みが増すのはめちゃくちゃよかったですね。
大学生ながら日本各地を巡り災害を鎮めて回っている草太はもうウルトラマンだろ。
廃墟に出来てしまった扉を過去そこにいた人たちの思いを借りて「この土地を人の手からお返しいたします。」するのは存在と無の地平線概念なのでファフナーです。
そのうえで冒頭に書いたようなことやられたらそりゃ好きになるんだよな。
ヒーローもののテイストがありながら悪い奴ぶっとばすぜじゃなくて鎮めるで、そのために必要なのが自分の中の大きすぎる傷と向き合うことでそれを出会ってきた人たちが後押しになってるのでめちゃくちゃよ。
肉弾戦(扉を閉める)→必殺技(扉を閉める)
なのでやはりウルトラマンの文脈が強い気がしてきた。
つまりこの映画はグッドじゃない。
最高(ファンタスティック)!!
気を抜くとオタク話に戻るのやめろ。
①出会い、旅立ち
叔母さんと二人暮らしの九州宮崎に住む女子高生がこの映画の主人公。
なんてことはない普通の女子高生として描写される。
市長の娘とかじゃないし空を晴れ渡らせる能力もない。
しかし、全てを見たあとだと彼女とそれを取り巻く特異性は目立たない形でしっかりと描写されていることがわかる。
それは彼女が「東日本大地震により母親を亡くしている」ことだ。
地震が起こっても彼女の学校にいる他の生徒たちは多少の地震があってもバスケットボールを中断しないし「揺れたねぇ」ぐらいでしかない。
一方で鈴芽はこの世ならざる謎の物体が地面から伸びていくことに青ざめているようであるがこの状態を放置すれば地震が起きるということに対してまさに『必死』になって行動する。
もしミミズが起こすのが地震でなかったのなら彼女はここまで必死になれたのだろうかと最後まで見た後では思う。
この時点では謎の化け物を前に怯え縮こまるのではなくそれによる被害防ぐため立ち向かっていく姿勢は実にヒロイックでありこれは劇中一貫して描かれるのでもしかするとこの映画は恋愛ものではなくこの雰囲気でいくのでは…?とヒーローものの文脈で見ていました。
また鈴芽の住む環さん宅は独り身が住むには明らかに広く、また利便性の低い高台に位置していることから「環さんは鈴芽のためにこの自宅を用意した」ことが考えられる。
津波が来ない高台にだ。
また最初の戸締まりの後地震があったから連絡したのに出ないことを心配されているがそれはそう、鈴芽にとって地震がどれだけ心の深い部分でトラウマになっているか環さんは12年もの間見てきたからだ。
でもね、環さん。
鈴芽は貴女は周りの人のおかげでそれを過保護だと思えてそんな時人のために動けるぐらい元気に育ちました。
でけぇよ愛。
まぁそんな感じで心配してくれる環さんを雑めにあしらい逃げるダイジン(猫)と追う草太(椅子)を追いかけてフェリーに乗り込み愛媛に行くことになってしまった、までが①の話。
家出少年少女好きだね新海誠。
親御さんが窮屈で乗り越えるべき壁みたいな作り方をする印象があったなかで環さんはむしろ最終的には後押ししてくれるわけだけどその辺も心境の変化なんかね。
②各地での戸締まり
突発的に九州を飛び出し愛媛に来た鈴芽と草太(椅子)はネット上に広がるダイジン(猫)の情報を頼りに追跡を始める。
愛媛では千果という少女と出会い鈴芽と草太以外の人物と現状を考える機会を得る。
その際の「自分が大切なことをしている」という考えはより一層使命感を強めただろう。
愛媛での戸締まりを終えダイジンが向かった神戸へ行こうとする道中で幸運にも同じく神戸へ向かう二児の母ルミの車に同乗させてもらえることになる。
神戸での戸締まりを経て鈴芽は幼い頃に常世を見たことがありそれがミミズなど他の人には見えないものが見える理由であることが仄めかされる。
このようにこの編では鈴芽が旅の中で新たな出会い、助けを経て物語の核心に状況も心情も近づいていくのだ。
人の思いを以て土地を鎮める閉じ師としての生活と自分の世界を広げていく鈴芽の成長がいい感じにマッチしている視聴者としても楽しい場面だ
事情もわからず心配しか積もらない環さん以外には。
そうして環さんの心配をどこ吹く風についにウキウキで東京にやってきた一行。
要石は東京にある大きな後ろ戸と関わるらしいが肝心の場所がわからない。
そうしているうちに東京の後ろ戸からミミズが現れてしまいその場所は鉄道トンネルの向こうで一体どれほどの深さにあるかもわからない(つまりここまでと同じように戸締まりで収まるものではない)。
そうこうしているうちに要石が抜けミミズの全体が顕現してしまう。
鈴芽と草太はダイジンを追いミミズに飛び乗りダイジンに要石に戻るよう詰め寄るが実は最初に椅子と一緒にされた時点で要石の役割は草太に移っていたのだと明かされる。
草太は気が付きたくなかった事実を否が応でも認識し要石になってしまう。
それ以外にこの事態を治める方法がなく(ここなんですけど鍵が反応しているので鈴芽は自分がそうしないことで失われてしまう人やものを強く心に映し出されているっぽい、聞いてるか帆高お前の中にないものだぞ)鈴芽は泣きながらミミズに草太を突き刺す。
皇居の濠に落下した鈴芽は目を覚ますと東京の後ろ戸となっている城門の前にいた(落下した鈴芽はダイジンが助けた、後の事を考えるとダイジンは鈴芽に戸締まりをしてほしいので東京の後ろ戸まで運んだ可能性が高い)。
扉の向こうには常世で要石としてミミズを封じている草太が見えるが常世に入ることはできないため助けることができない。
これでようやく2人きりだねと近づいてくるダイジンをはっきりと拒絶。
鈴芽によって封印から解放され自身に好意を寄せてくれていると思い込んでいたダイジンは意気消沈し場を去る。
東京の後ろ戸を閉じ(思いが足りていないというか草太を助けたい気持ちが強く出過ぎていて鍵はボロボロで封印が不十分っぽい、特に伏線とかではない)、草太を救う方法を聞くために昔閉じ師として活動していたという草太の祖父に会いにボロボロのまま病院に潜入する鈴芽。
祖父は「巻き込まれただけなのだから例え草太が犠牲になったとしても救った命の大きさを誇り口を閉ざして去れ」と強い口調で拒絶されてしまう。
しかし「生きるも死ぬも運でしかない、私は草太さんのいない世界の方が怖い」と訴える。
東日本大震災でたまたま母親が死に、たまたま自分は生き残ったことによる人生観が出てるんですよね。
愛知での戸締まりで「死なんて怖くない!」と言うのも死の恐怖を直視してはまともに生きていけない経験をしているからなんだと思いました。
しかし、だからこそ、大事な人のために動けるんですよね。
祖父は「人が人生で倒れる後ろ戸はひとつだけ、過去貴女が常世に迷い込んだ後ろ戸を探しなさい」と助言を与える。
鈴芽が去った後黒い猫が祖父の元にやってくる。
「ついに抜けてしまわれましたか。お久しゅうございます。あの子について行かれるのですか、どうぞよろしくお頼み申す。」みたいなことを言っていたのでここでこの黒猫はダイジンと対をなす存在=東京の要石であることが示されていますね。
で、話の流れが途切れるんで後に回した要素があって東京で草太の家に着いた時にとんでもねぇ性癖男をぶち込まれるのがこの映画なんですが。
高身長茶髪耳ピアスメガネ気だるげタバコ男(CV:神木隆之介)!?
突然何!!??
草太の友人で一緒に教員を目指している!?
昨日教員試験だったのに草太がすっぽかして不機嫌!?
家業が大変なのは聞いていたけど流石にキレて二度と顔見せんなと言いつつ貸した2万は返しにこいと会う約束を取り付けようとする!?
芹澤朋也、恐ろしい男……
まぁ所詮脇役、いかに属性を凝らそうと話は佳境。
脇役にさく時間はないのだ。
鈴芽も傷を洗い流し制服に袖を通しながら草太の靴を借り覚悟も決まりまくって最終決戦形態となりいざクライマックス!!
常世にいる草太を助けに自分の過去と向き合いに………
え!?草太を助けに行くなら俺がどこにでも連れて行ってやるって芹澤が車出してくれるの!!??
③草太を救うため自分の過去と向き合う
草太を救うため覚悟を決め駅に向かった鈴芽を呼び止めたのは赤いオープンカーに乗った芹澤だった。
芹澤は鈴芽を呼び止め草太のところに行くんだろ?どこへだって連れて行ってやる!と言い出す。
「友達の心配しちゃ悪いかよ!!」
え?お前草太のこと大好きじゃん。
昨日の悪態全部草太が家業で自分の人生を好きに生きられないが草太自身はその家業のことを大切に思っているからあまり口を出さないことに対する怒りだったの?
鈴芽がついた草太のいとこって嘘が嘘だとわかっていても姿を消した草太に近づける方法はそれしかないと気付いたから朝からずっと鈴芽が来るの待ち構えてたの?
高身長茶髪耳ピアスメガネ気だるげタバコ熱い友情🆕男(CV:神木隆之介)!!??
そこに現れる震災で親を亡くした子を引き取り12年育て上げたバリバリキャリアウーマン叔母、環さん!
心配して東京まで来てくれるんですよ、愛ですね。
こうして駅前には落ちぶれホスト風男vs制服女子高生vsバリバリキャリアウーマンの構図が出来上がったわけですね。
一度沈んだ空気がちょっと緩んでシリアスになりすぎた話がここからクライマックスに向けて若干の余裕が作られましたね。
一悶着ありましたが突如現れたダイジン(猫)が喋ったことで話が中断され鈴芽が示した目的地へと向かうことに。
それは鈴芽の実家があった場所、今はもうかつてそこに人の営みが存在していた証拠のみが残る津波の被災地であった。
3人と1匹のドライブ。
芹澤は乗客に合わせて出発にはこれでしょと「ルージュの伝言」をかける。
え!!??お前が歌うの!!??
なんとか旅立ちを盛り上げようとルージュの伝言を歌う芹澤!!??
なんだこいつぅ〜〜
好きなんだな、そういうやつが。
片道7時間、すんなりと終わるものではなく途中途中ストーリーが入るのは必然。
なにしろ何も解決はしていないのだ。
突然理由も言わず九州から東京まで飛び出して行った娘はなんとか会えても理由を言わないし猫は喋ったし。
途中人が避難した地域で小休止をとることになるが高台から緑が生い茂り太陽が指す海を見て芹澤は「この辺ってこんなに綺麗だったんだなぁ」とこぼす。
鈴芽はそれに動揺する、そこは彼女にとっては自分と同じく住んでいた家をその暮らしごと放棄せざるを得なかった場所だったからだ。
この辺は新海誠の精神に大きな影響をもたらした2011年の桜が現れているように見える。
東日本大震災により人々は大きな傷を負っているなかでそんなことは何も関係ないと桜はただただ綺麗に咲いていた。
人の感傷など自然には何の関係もなくまた何の考慮もされない。
途中雨で休憩することになった道の駅ではご飯も食べずに頑として1人車に残る鈴芽に環さんが怒る。
環さんはただ理由を聞きたいのだがそもここでちゃんと説明できるのなら環さんはこんなに心配してはいない(もっとも最終的に言えるのが「好きな人が犠牲になったので代わりに犠牲になりに行こうと思ってます」なので口にできるわけもない)。
ただただ振り回されるばかりの環さんはついに堪忍袋の緒が切れたと母親を亡くした子供を育てることで感じていた辛さ、自分の人生が流れて行ってしまった悲しみ、こんなの割に合わないという怒りを曝け出す。
しかしそれは少し不自然なものだった。
「あなた誰?」という鈴芽の問いかけに対し環さん、いや後ろにいる黒い猫は「サダイジン」と答える。
環さんは気を失い倒れてしまうがすぐに目を覚まし自分が鈴芽に何を言ってしまったかを思い出すと逃げるように車から去って行った。
ここなんですけど「ダイジンが訪れたことで鈴芽が泊まった施設が繁盛していた」という設定からダイジンが福を司る神であることと対極的にサダイジンは禍を司る神であったんじゃないかなと思いますね。
ダイジンを見た一般人が可愛いといった感情を抱いていたのはその人が持つ正の感情が増幅されていたと考え、逆にサダイジンが近づくと負の感情が増幅されてしまい環さんの中に溜まっていたものが溢れ出してしまったんじゃないかなと。
ここまで環さんと鈴芽のちゃんとした会話がなかったから発覚してなかっただけで駅で出会った段階でサダイジンは環さんに憑いていたのかもしれない。
知らんが。
そして芹澤!
何ソフトクリーム食べながらUFOキャッチーしてんだ!
環さんに泣きつかれるところめちゃくちゃお前に合ってるな!
「……闇深ぇ〜」ってわかりながらも深入りはせずそれでいて突き放しもしない面倒見の良さはなんだ!
再出発に「ケンカをやめて」をかけるのいいな!
重い空気にめげない!がんばれ芹澤!
「猫って理由もなく着いてこないでしょ、その2匹は鈴芽ちゃんに何かして欲しいんじゃないの?」と芹澤が言うと
「その通り 人の手で元に戻して」と喋るサダイジン。
それにびっくりしすぎて事故る芹澤。
目的地まではまだ20kmもある。
鈴芽はここまで送ってくれた礼を言うと走り出すがそれを環さんは近くに落ちていた自転車で追いかける。
ただ1人取り残された芹澤は呆然としながらも笑ってしまう。
ここで「いいなぁ」と出るのも芹澤の良さか…?
脇役のくせに心を乱してくるなよ。
オンボロ自転車に鈴芽を乗せて走る環さん。
「あの駐車場で言ったこと心の中にあったけど、でもそれが全部じゃない」と伝える環さんとそれを「わかってる」と受け止めることができる鈴芽。
12年の間にある信頼がでけぇ〜〜〜
ついに辿り着く実家、否それがかつてあった場所。
「お姉ちゃん、鈴芽大きくなったよ」
うおおお〜〜〜
ここの何気ない鈴芽の「ただいま」も環さんのものがたり読むと意味がでけぇ〜〜〜〜
環さんと暮らすようになってしばらく「ただいま」も「おかえり」も言ってくれなかったし「まだ、おうちに帰っちゃだめ?」まで言われてますからね。
幼い頃自分の庭に埋めた缶を掘り出しその中の日記から当時の記憶を思い出そうとする。
「私あの頃のことよく覚えてなくて」と鈴芽が言うのやはり人間は忘れることで生きていけるんだなと思ったね。
捲られたページはクレヨンで真っ黒に塗りつぶされていた。
わかるのは上にある「3月11日」のみ。
話として彼女が東日本大震災で母親と故郷を失ったのがはっきりと描写されるのはここが初めて。
ここで自分の閉じ込めた過去と向き合うことになるがもう鈴芽は前に進んでいるので今更そこで立ち止まることはなく、自身が過去に見た後ろ戸の情報をもとに動き出す。
ここでダイジンに後ろ戸へ案内されたことで
×ダイジンが後ろ戸を開けて回っている
○後ろ戸が開くところに鈴芽を誘導して戸締まりしてもらっている
ということが判明しこれまでの言動が全てただの事実陳列罪だったとわかる。
紛らわしい。
「後ろ戸はまだまだ開くよ」→要石が抜けたので
「(ミミズがこのまま落ちると)いっぱい人が死ぬね」→要石になった草太を使って鎮めないの?
「好きな人のところ!」と言いながら笑顔で常世に飛び出していくのも環さん、あなたのおかげでこんなに元気に育ちましたと言う気持ちでいっぱいになりましたね。
ここからは衛宮士郎のトラウマか?って感じに燃えた町を草太を助けるため抜けながら人間に戻った草太と共に要石に戻ったダイジンとサダイジンをミミズに突き刺すバトルパートなんですけどバトルパートよりもそこにちょこちょこ入る命題の方が本質ですね(そこは決着の基準ではないため)。
そこにはたくさんの「いってきます」「いってらっしゃい」があったけど「ただいま」「おかえり」が言われることはなかった。
人は大自然の前に無力でただ一時その地にいるだけのもの。
死は常に隣にあり生は簡単に裏返る、それでも少しでも長く私たちは生きたいという祈り。
戸締まりでかつてそこにあった人の思いを借りるのの延長ですね。
ミミズを要石で鎮めたあとの常世で鈴芽と草太は幼い頃の鈴芽と出会う。
そこで最初のやつに繋がるんですね(それはなんて待ち遠しい、希望に満ちたはFate/EXTRAだけど)。
辛いこと悲しいこといっぱいあったけどそれで全部が終わっちゃったわけじゃないその先にも輝かしいことはいっぱいあるんだよというのが新海誠から出てくるのはマジでびっくりした。
「お姉ちゃんだれ?」
「私は、鈴芽の明日!」
めちゃくちゃいいシーンだったね。
そこから現実に戻ってきて「行ってきます!」でタイトルまたバーンと出て終わるのも最高だしまた会う約束をしながら芹澤の車で帰る(お前まだ出張るの?)エンドクレジットも最高でしたね。
東京→神戸→愛媛でルミさんのスナックや千果の民宿に環さんと寄るのもめちゃくちゃいいね。
幸せなエンドクレジットはご褒美でしょ。
このために生きているといっても過言ではない。
ハッピーエンドで終わらせる気がある映画みんなやれ。
ククルスドアンは……そこじゃないと思うな俺。
季節は変わり冬、すっかり元の日常に戻った鈴芽は通学路の同じ場所で草太と再会。
これでお話はおしまい。
いやぁいい話だったなぁ。
新海誠からこんなの出てくるとは思ってなかった。
なんか気持ち悪いぐらいネッチョリした恋愛ものを美麗な背景で誤魔化して一般ウケしてしまった人だと思っていたので衝撃だった。
にしても鈴芽のキャラもそれを中心に広がる話も面白かったのに見終わってまずみんな「芹澤が」になってたのめちゃくちゃ面白かった。
芹澤の存在で草太の掘り下げも急激に進んだから脇役というものは恐ろしいね。
草太に内緒で鈴芽と芹澤で誕生日パーティー企画するも薄々勘付かれてる、閉じ師の仕事で休んだ分のノートを芹澤に借りる草太(貸すことを前提でノートをとっているのでめちゃくちゃ綺麗)、ちょっと仲良くなった女より草太を優先する芹澤みたいな幻覚が見える。
そもそもすずめの戸締まり見てウルトラマンやん!とかファフナーやん!とか幻覚は見てるんですけど。
草太が鍵をベータカプセルみたいに手に持ってるシーンがあったと思う(ない)。
公開日から年越してまでダラダラと書いてましたが今後も人の輝きを見て生きていきたいなと思いました。
新海誠作品、次も見に行きまーす。
PS.
3回目見に行ったら常夜のあの星空、ウルトラマンデッカーの胸と頭の銀河に見えてきました。
後ろ戸から常世に飛び出したところで背面月になるのウルトラマンデッカーじゃんね。
「環さんのものがたり」読んだんですけどやっぱり環さんも突然のことでなんの準備もないまま鈴芽を受け入れることにしてしまい苦悩していたんだなと。
苦悩は苦悩としてあり、でもそれだけじゃないよと本編で言われていることが既に救いですね。
青春って誰かがそれをできないことで成り立つんだなぁと常々思いますね。
基本的にそれは保護者が負うものなので「母親だって女なのよ」みたいなので家庭が壊れるのはまぁそういうことなんですね。
個人にはそういう自由があるというのもわからなくはないんですがでもやっぱりそれを譲れるような大人がいる世界が僕は好きですね。
子供もそれに自分で気がついて自分がいかに幸福なのかとそれを支えてくれている人がいることに感謝をしてほしいなと思いますね。
「空の青さを知る人よ」でも姉がいかに自分を犠牲にして妹の青春を守っていたか、それに気がついた妹がどう行動したか、そして最終的に姉妹で幸せなエンディングを迎えられたの良かったんですよね。
まぁ僕は異常独身男性なので関係ないんですが。
4回目行って『芹澤のものがたり』もらってきたんですけど芹澤の言動全部に裏付けがされるの何事なの!?
最初に出てきて言ってた「あいつは自分の扱いが雑すぎるんだよ腹が立つ」→前に金を稼ぐために危ないバイトをしてた頃に草太に言われた
鈴芽が来るのを駅前で待ってた→「草太」と同じ目をしていたから草太のところに行くんだと確信
見ず知らずの2人を宮城まで連れて行こうとする道中2人に気を遣ってる、車が事故って鈴芽と環さんが自転車で行ったあとの「いいなぁ」→コロナの影響で人と直接接することがない生活に疲れ切っていたことがありそこで寂しさというものを強く実感、風邪で寝込んだ時に草太が来てくれたのにものすごく救われた
最後鈴芽と草太が別れの挨拶をしているところで煙草を吸ってない→煙草は荒れてた頃の習慣、それをやめた
そしてその風邪で寝込んでいたころに草太が家業で忙しかったと聞いてその家業のことを話せないのか?と聞いたが「・・・いつか聞いてくれるか?」と切ない声で返される
何?同性間クソデカスタンド攻撃か?
であとがきで「このキャラそんな掘り下げる気なかったんですよね」とか言われるの何?
付け合わせのくせに味濃すぎだろ味見したんか????
やっぱ海賊なんてカスなんだよな…
なんでこの作品海賊が主人公なんですかね?
ワンピース film REDを見てきたんですよ。
世間では「シャンクスというのは実はシャンクの複数形で我々が知っているシャンクスはその一体に過ぎないんだよね」「道化のバギー、これに隠された本当のD。彼こそはD OUKEのバギー、つまりD王家のバギーなんだよね。」みたいな与太話でゲラゲラ笑っている人種がいて、まぁ私なんですが、そんな中シャンクスの娘という設定のキャラが物語の根幹の映画がやるというのでやっぱりこういうネタを言いながら笑っていたんですが知人に観に行こうぜと言われまぁいいかと行った次第です。
もちろんシャンクス単為生殖説とかそういうのを真に受けてるわけではないのでまぁ普通のジャンプ映画ぐらいには面白いでしょぐらいの気持ちです。
結論からいうとシャンクスのせいですね。
①物語の流れ
まずすごいんですけど前提として「大海賊時代とは無辜の民が略奪され苦しい生活を強いられる時代である」から始まるんですねこの映画。
お宝を夢見て海に飛び出し島に着けば全部俺たちの物だと奪い去りゲハゲハ笑う奴らが主役の時代なのですからそれはそう、海軍も人材が足りていないので駐留できる場所には限りがある。
そんな中でウタは世界に自分の音楽を配信しながら人気を集めついにライブを開催することになります。
麦わら海賊団一行はそのライブに参加しにくるわけですがライブ中にウタを攫おうとする海賊たちが現れます。
麦わら海賊団はウタを守るために戦おうとしますがウタ本人がその能力で海賊たちを倒してしまいます。
「悪い海賊たちは歌になってもらったよ!」
ウタは世界的に人気の歌手となっていますがメインの客層は先ほど触れた「海賊に虐げられる人々」です。
彼らの癒しのために歌う彼女はルフィにも海賊を辞めるように勧めます(当然拒否されますが)。
しかし幼い頃シャンクスの赤髪海賊団の音楽家としてルフィとも親しかったウタが何故アンチ海賊運動ともいえることをしているのか?
そこが物語の根幹となってくるわけですね。
ウタの音楽の才能は赤髪海賊団にいるころから凄まじく、シャンクスからは「ウタの歌声は世界を変える」と言われ音楽の島エレジアでは王のゴードンからここで歌手として生きないかと誘われます。
ウタはシャンクスたちといると決めその提案を断ります。
しかし、目が覚めると島は壊滅しており赤髪海賊団はたくさんの宝と共に既に出港していました。
ボロボロになったゴードンは言います。
*1「もう私たち以外みんな死んだ。赤髪海賊団が島を襲い宝を奪って去っていった」
ウタは泣きながら船に叫びますが船からは笑い声が聞こえるのみでこちらを見向きもしません。
こうしてウタはゴードンと二人きり、壊滅した島に残され現在まで生きてきたのです。
そうして無為な日々を過ごしていたウタですが配信のための電々虫が流れ着いたことで自分の歌を世界中に配信することします。
配信は好評、着実にファンを世界中に増やしていきます。
「辛い生活の中でウタの歌声だけが癒し」
「ずっとウタの歌声だけを聞いていられればいいのに」
「海賊のせいで」
「海賊が…
……
*2ウタは自分の歌で世界を変えることを決めます、昔シャンクスが言ったように。
大海賊時代なんかもう終わりだ。
私が新時代を作る。
そうしてウタの世界を変える計画は始まりました。
大海賊時代で苦しむ人々に虐げられることのない世界の実現のため自分の歌を聴いた人間を現実から意識だけウタワールドに入れそこで暮らしていく。
世界中のファンが注目する初ライブはそのための第一手だったのです。
ウタワールドに囚われたキャラたち、そして現実世界のキャラたちはそれぞれウタの計画を阻止するため動き出すがそのためには強大な魔王を倒す必要があると知り世界を救うためウタの殺害を実行しようとする海軍、ウタを救うため奮闘する麦わら海賊団、ついに現れる赤髪海賊団!
物語はクライマックスへ……!!!
②言ってくれなきゃわからないじゃないか
海賊に捨てられ海賊に苦しむ人々のため方法は間違っていても立ち上がった歌姫が敵かぁ!!
じゃないんですよ。
これシャンクスのコミュニケーション力の低さが全ての原因なんですよ。
まずですね、物語の分岐点となる*1です。
実はここはウタの能力とこの島で封印されていた魔王を呼び出す楽譜が繋がってしまい事故的に魔王が復活してしまい島中を破壊してしまいましたというのが真実なんですね。
そこでシャンクスはこう考えました。
「ウタが自分のせいだと考えるのは避けたい、ここは我ら赤髪海賊団が略奪をしたことにして丸く収めたい。」
まぁわかる。大事な娘にお前のせいでこの島の人々みんな死んだよとは言えんよね。
「海軍に追われることになる我々と一緒にいてはウタの才能を閉ざしてしまう。ゴードンさんあなたにウタを託したい。」
はいダメーーーー!!!!
馬鹿たれぇ!!!
「あなたのためなのよ」は実質的にその人のためになっていないの典型例です!!!!
「うちの音楽家の門出だ、笑って送り出してやろうぜ!!」じゃないんだよ
そのせいでお宝いっぱい略奪できて嬉しい海賊みたいに見えるよ
そして何よりウタの気持ちを完全無視!!!!
お前は事情わかってるからいいよ、ウタは家族だと思ってた奴らにいきなり捨てられて意味不明なんだよ
「離れていてもお前は俺の娘だ」じゃねぇーーーー!!!!
言え!!!!!
本人に!!!!!!
面と向かって!!!!!
きっと伝わるよねとか思うな!!
シャンクスができることは二つに一つ、真実を告げて置いていくか真実を隠して連れて行く!
お前がしたことはただ何も知らない子供を置いて行っただけ!!
ネグレクト!
ヤソップ(生まれて間もないウソップとその母を置いて海賊になる)もいるしお前らはネグレクト海賊団!!!
次、*2!
実は配信機材が流れ着いた時に当時の記録映像も拾っており誰かに教えられることなく勝手に真実を知ってしまっていたんですねウタは。
これにより自分の歌のせいでこの島を滅ぼした過去と世界中から自分の歌声で世界を変えてほしいという願いという現実の板挟みになりました。
言え!!!!!
ゴードンお前がウダウダしてたせいで最悪の展開です!!!!
ここから挽回できるのは「それ故に赤髪海賊団はお前のために汚名を背負い旅立ったのだ、お前は愛されていたんだ」と告げてあげることだろうが!!!!
でもゴードンはいくじなしなので言えないし魔王の楽譜も捨てられない。
シャンクス!!!!
言えって言っておけ!!!!
手紙とか残しておけ!!!!!!
シャンクスお前がウタの歌声は世界を変えるとか言ったのにも縛られてんぞ!!!
「私にはその力がある、私がこの世界を変えなきゃいけない」って感じに物語が始まっちゃってんぞ!!
必要なことをしないし言わないくせに余計なことはするゴミ海賊がよ〜〜〜
③物語上の制約から生まれた設定がなんか違う
なんやかんやあって現実世界のウタの前にシャンクスが現れウタを殺そうとする海軍を止めながらウタを救おうとします。
しかしウタは魔王の楽譜を使い現実とウタワールドを繋ぐ魔王を呼び出し計画は最終段階。
魔王を倒すにはウタワールドと現実両方から同じ場所を攻撃する必要があります。
お気づきでしょうか。
ワンピースの作中でルフィとシャンクスは約束を交わしており再会するのは立派な海賊になってからと近くにいてもシャンクスはルフィに決して会おうとしません。
しかし最終決戦の場に主人公のルフィとこの映画で大きな影響を持つシャンクスどちらかが不在はあまりにもがっかりです。
そのため最終決戦はウタワールドの麦わら海賊団と現実世界の赤髪海賊団がそれぞれ戦うというレイドボス形式にすることで解決したんですね(は?)。
そのためになんかあきらかに世界観の違う魔王が出てきますがまぁ瑣末な問題でしょう(そうか?)。
そうか????
魔王は無事倒されウタは解放されます。
しかしウタワールドに囚われた人々が帰ってきません。
ウタは眠ると能力が解除されてしまうため眠れなくなるキノコを食べることで制限時間のある体となりそれまでに一人でも多くウタワールドに引き込む作戦でした。
この致死性のキノコの解毒剤をシャンクスは用意しておりこれを飲んで眠ればウタも生き残るし能力も解除されて一件落着、そう思いますよね?
しかしウタは解毒剤を捨て自分の能力で、歌うことでみんなをウタワールドから救い出すことにします。
まぁ、自分がいつまで保つかわからないので自分の生存より最期にみんなを救う道を選んだと好意的な解釈できますがその説明がありません。
お気づきですね。
ここで死ぬことで完成するキャラなので死なせるスケジュールなんですね。
う〜〜ん?????
なんかなぁ?????
乱暴じゃない????
③ウタはめっちゃ好きになった
ウタのキャラ結構好きになって、既存キャラとの関係もあるけど根底が善人よりのどうしようもない状況によって物語上の敵になってしまった系なのもいいし曲が結構ね、捨てられたことが根底にあるからか激しいけど悲しげなところがあって好きですね。
ライブシーンとして見に行っても結構楽しめたよ。
ウタカタララバイとか好きですね、もう引けないんだなって感じで。
④終わりに
ワンピースは正直ルフィのキャラについていけなくなったのでスモーカーとかを応援しているんですが、その辺の「海賊たちって本当に迷惑」っていうところから始まるのが意外だし自分の考えに合っててよかったです。
ただまぁそういう作りにせざるをえないのもあって結局最後はそこらへんの1海賊なんかよりやばい世界の脅威vs麦わら海賊団の構図になってしまうので海賊が悪側じゃあんまりなくなっちゃうんですよね。
ハンニャバルの名言がいいよね〜
そんな感じでワンピース film RED、ジャンプ映画でした。
曲聴きながらそのうち見放題とか来たらライブシーン見直したいですね。
追記:ウタが間桐桜でウタカタララバイがI beg youって話が流れてきてまたゲラゲラ笑いました。
https://www.youtube.com/watch?v=hyV1AJiFNyo
あの自分の力の強さを確信しながらも行動の端から怒って泣いてまるで八つ当たりみたいな感覚を覚えるのなんか覚えがあるなと思ったらなるほどなぁ!
境遇的にはイリヤも近いね!!
僕もウルトラマンっていう個人が好きになったよ
ドンッ カ~~
グググキィイィィィイィィ
トコトコトコトコトコ
ドンッ カ~~
トコトコトコトコトコ
キィイィィィイィイィィィイィィン(巻き戻しが終わる)
デンッ タァ〜〜〜〜(赤バックに白文字でタイトル)
開幕で笑かすな
2016年、シンゴジラが公開されると多くの人に楽しまれ話題となりましたね。
そして2022年5月にシンウルトラマンが公開されました。
シンゴジラが人の業から生まれた災害を前に人々が思惑を超えて自分達にできることを必死に取り組み人類が歩むべき王道を実現しようともがく割と人間ドラマが中心の映画だった(まぁゴジラは喋らないしコミュニケーションが取れない以上目的も推測のものでしかないため人間たちが物語を引っ張るしかないという構造なので)のに対し、シンウルトラマンには
①地球の外からやってきて地球人と一体化し地球人を守ってくれるようになるウルトラマン
②なんらかの理由で暴れ回る禍威獣(怪獣ではなく禍威獣というのが今作の設定)
③なんらかの理由で地球侵略に来た外星人
④上記に対応する地球の人類
と多くの要素がありそれぞれの関わり方を変えるだけでさまざまな方向へ舵を取れます。
特に今回の映画では「何故ウルトラマンは地球人の味方をしてくれるのか?」「何故外星人は地球侵略をするのか?」「ウルトラマンと人間の関係とは?」という点を中心に物語を展開していく印象でしたね。
1.何故ウルトラマンは地球人の味方をしてくれるのか?
初代ウルトラマンは暴れている怪獣を護送中に逃亡されそれを追う形で地球にやって来たもののその地球で科学特捜隊として平和のために活動していたハヤタと衝突してしまい命を奪ってしまったため自身と一体化し命を共有することとなりました。
善意と贖罪でハヤタの仕事を代わりに行ってくれたのが初代ウルトラマンというわけです。
その後は地球を守るために、光の国から僕らのために来てくれるようになるわけです。
対してシンウルトラマンでは禍威獣を倒すために地球に飛来したがその際の衝撃により逃げ遅れた子供を庇った神永を死なせてしまったことが理由となりますがそれは贖罪ではなく「命を使って他の生命を守ろうとした人間という生き物に興味を持ったから」です。
神永の姿を使い人間社会に入り込んだウルトラマンは地球人の物の考え方を吸収していき俗に言えば「どんどん人間を好きになっていく」のです。
ウルトラマンという外星人にとって人間は「宇宙の一つの星にいる未発達な現住生物」から「友情を感じその考え方に感銘を受ける存在」になるわけです。
本家ウルトラマンシリーズとは異なりこれは「ウルトラマン個人がそう感じてくれた」というだけのもの。
本来の目的は地球を守るためではなく地球で目覚めた生物兵器の鎮圧です。
宇宙の平和を守ることを使命とした正義の味方ではなく個人的感情による人類の味方なんですね。
人間←長命人外生物 の図になりましたね。
この個人的感情は他の侵略外星人や同じく光の国からやってきたゾーフィ(ゾフィーではない)とも対比されていきます。
2.何故外星人は地球侵略をするのか?
そもそもなんですけどウルトラマンシリーズの宇宙人たちはみんな地球侵略を行うにあたって地球侵略そのものが目的のものと目的のための手段として地球侵略を行う場合があります。
「この全宇宙を我々の支配下に置くのだ!!」という野心溢れる宇宙人もいれば「母星が滅んだので安住の地として地球を貰います」といった理由ありの宇宙人のいるわけです。
今回シンウルトラマンに出てくる外星人はウルトラマン以外に3人いてそのうち侵略を目論むのは2人なんですがこの2人も上記とは違った意味で対照的でした。
地球を資源として入手するため。
人類なんて未発達の現住生物に興味はないがわりかし知性があるので不平等条約を結ばせながら共倒れさせていけば自分が手を下すまでもないなという考え。そのためにはウルトラマンが邪魔なので地球人にウルトラマン抹殺計画を承認させただ1人の外星人として地球を手に入れるつもりだった。
しかし神永(ウルトラマン)が想像していないほど地球人を信頼し、地球人がザラブ星人が思っていたよりも知性を働かせて行動したことでウルトラマンからの反撃を受け友好的な外星人ではなく侵略外星人であると暴かれ戦いの末倒された。
地球に存在する全てをそっくりそのまま自分の下に置くため。
メフィラス星人がβシステムを人類に提供することで全人類70億がウルトラマンに近しい強大な力を持つことができるという人類にとって美味しい提案を行い人類に寄り添った態度を取る(人間社会の文化や制度、食生活などに理解と関心を持つ)。
しかしそれは隣人として見ているのではなく資源として見ているもの。
外星人の科学力をわざと人類に研究させ「我々にはどうあっても敵わない存在がいる」という意識を植え付け言ってしまえば神として地球に君臨するのがメフィラス星人の地球侵略。
そして光の国の干渉を避けるため上記のように人類に自らその道を選ばせる(ウルトラマンはこれによりザラブの件と違い自身に降りかかった火の粉を払うような対処はできず、侵略ではなく地球人とメフィラス星人がそういう外交を行ったという状況において部外者になり光の国の決まりで手が出せない)という知性的な侵略計画を立てた。
しかしウルトラマンは地球人のために本来できないはずの対処を行いメフィラス星人との敵対を開始する。
メフィラス星人はこの段階で事情を正しく理解できていない地球人からすると「友好外星人との外交を力づくで邪魔してきたウルトラマンに対処してくれた」という風に映る、賢しい。
地球人と一体化していることでエネルギーの消費が激しいウルトラマンは劣勢に立たされるがそこに光の国からやってきたゾーフィの姿を確認すると「ウルトラマンを倒すことは容易いが光の国との敵対関係を作るのは収支が合わない」と考えたか戦いをやめ地球を諦め去っていった。
ザラブ星人のケースは非常によくあるウルトラマン的解決という感じがするがメフィラス星人のケースは物語の発端となりながらも(禍威獣たちが暴れ出したのはメフィラスによる「人類だけの力では対処しずらい、不可能な状況を作り出す策略」だったことが仄めかされている)この後の展開「親地球人思考は光の国の普遍的な考え方ではなくウルトラマン個人の考え方」というものに繋がっていきながらもザラブ星人より手法も考え方も遥かに格上の相手として描かれていて見応えがすごい。
ザラブ星人はザ・宇宙人そのままって見た目を常に取っているのに対しメフィラス星人は見た目を人間にするのはもちろん名刺を作ったり人間が使用する書類の形式で考えを見せたり(人類にはできないホログラム投射で科学力を見せつけながら)、ことわざを使ったり地球の文化に対するリサーチ力が高い。
役者の怪演もあり人間の見た目をした人間ではない人間のように話しかけてくる何か感がやばい。
話を戻すんですが
外星人に関して一貫しているのは誰も彼も「地球人を対等な存在だなんて欠けらも思っていない」ことです。
ザラブは圧倒的優位な条約を結ばせながらも人間とか邪魔だし最終的には全滅してほしいなんて考えてますし、メフィラスも親しみを持って接してきますが人間たちにとっての上位存在として君臨することが目的です。
そして光の国から来たもう1人、ゾーフィも「人類はβシステムを用いれば強大な戦力となることが知れ渡ってしまった。今後様々な勢力がこの地球へ人間を資源として求めにくるだろう。だから後顧の憂いを断つために地球ごと全人類を滅ぼすことにした。我々が確認している130億の知的生命体のたった1種が滅びるだけだ、宇宙は何も変わらない。」と宇宙の平和のために滅菌作戦することを何の感情もなく決めてしまいます。
それぞれ目的はあるけれどウルトラマンと他の外星人の違い、味方になってくれるのと侵略や殲滅の対象としてくるその差はこの地球人に対する意識の差なんだろうなと思いました。
政治的な話じゃないよ。
3.ウルトラマンと人間の関係とは?
ウルトラマンシリーズには有名な話があります。
それは「ウルトラマンは神ではない」というものです。
ウルトラマンたちは空を飛び、ビームを出し、名前の通り超人的な存在です。
それでも全てを救えるわけではなく他の生命、人間と同じように状況に対し精一杯できることをしているだけなのです。
そのためウルトラマンシリーズにはちょっとビターな展開が度々挟まれます。
自らの無力さに打ちひしがれ守れなかった自分を許せずある怪獣に対する無慈悲な復讐者となったウルトラマンや自身の強大すぎる力を制御できず大切な人を巻き込んでしまい本来の力を忌避するようになったウルトラマンなんかもいます。
最近のだとウルトラマンルーブの「さよならイカロス」が「ウルトラマンは超人的な力を持っていても全てをどうにかできる存在ではない」みたいな終わり方として話に上がる印象ですね。
「そうは言ってもウルトラマンの力により毎話毎話事態が解決してるんだろ?」と言われたらまぁ確かにその通りです。
でもそれでウルトラマンがいれば人間が何かする必要ないじゃんというのは違うのです。
ウルトラマンは手助けをしてくれているだけなのです。
我々人間が当事者として頑張ることが大事なんです。
無力なのではなくただ今はまだ届いていない足りていないだけ、それが人間自身のそしてウルトラマンからの評価なんです。
シンウルトラマンの作中でもゾーフィが地球を滅ぼすために起動したゼットンに立ち向かったウルトラマンが敗北したことで地球人たちが絶望しますがウルトラマン本人は地球人の可能性を信じ情報を託します。
その情報をもとに地球人たちは知恵を結集させついにウルトラマンだけでは歯の立たなかったゼットンを対処する方法を見つけ出します。
それはほとんどウルトラマンの犠牲が前提となる作戦でしたがウルトラマンはそれを快諾しそのために命を使っていいと言い切ります。
作戦の結果ゼットンの対処に成功しますがウルトラマンは別世界に閉じ込められてしまいます。
そしてそこにゾーフィが救出に来てくれるのですが傷ついた体を癒すためにも人間との一体化という禁忌を犯してしまったことを裁かれるためにも光の国に帰る必要がありそのためには命を共有している神永も一緒に連れて行かなければなりません。
それにウルトラマンは反対し自らの命を捨てても神永の命を優先し、仲間たちの元へ帰してやりたいと願います。
人間の素晴らしさと可能性への強い思いは宇宙の秩序を第一に考えるゾーフィの心を動かしあの言葉を出させるのです。
「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」
ウルトラマンが人間を好きになってくれたこと、その結果「自分より弱い存在のため命を投げ合った神永と同じ行動をウルトラマンが選択した」こと、ウルトラマンが人間の未来その可能性に大きな影響をもたらしてくれるであろうことがこの物語の終わりになるわけです。
ありがとうウルトラマン、君という1人の外星人が僕たち人間をそんなにも好きになってくれたことすごく嬉しいよ。
やっぱりウルトラマンは俺にとって永遠のヒーローなんだなと再確認できた。
数々の細かいネタも楽しめた。
いきなりシンゴジラのスーツ改造してゴメスにしましたは笑うでしょ。
ウルトラマンのスーツが変わったのは人間と合体したからっての結構上手いなと思ったしそれによって赤が混じってまるで「血が通った」ようになるのもいいなと。
ウルトラマンとのアイコンタクト、ファンはみんな好き。
隊長の部下への信頼がデカくてほっこりした。
戦闘はちょっと気取ったところあったけどおおむね満足。
間に立つ者、概念が好き。みんなも好きだろ。
「人間なら大丈夫」っていうウルトラマンからの信頼が向けられるのアツすぎるんだよな。
痛みを知るただ1人なっちゃうの涙出ちゃう。
ここまで褒めたが
個人的にはやっぱりちょっとモヤりポイントもあります……
5.0つけるつもりで間に合ったので4.6になったのはちょっと残念でした。
本家では光の国には命を物質化できる技術があるためゾフィーは命を二つ持ってきてくれてウルトラマンとハヤタ両名が生還できます………
僕はエンタメ的にはそっちの方がいいかなって思いました……
シンゴジラ、シンエヴァが驚くほどエンタメしてきたのでシンウルトラマンも勝手にそうなると思い込んじゃってましたね。
でも前述したように理解できないからこそ興味を持った行動をウルトラマン本人が取ったという終わり方は構造的な美しさがあり心が二つに分かれる……
あと長澤まさみ関連の描写がちょっと叩かれてますね。
まぁ尻叩くのは彼女なりの発破のかけかたなんだろうなと思ったので別に気にしてないですし、巨大浅見のシーンも巨大に見せるために下からアングルになるのは特撮ではよく使われる技法なのでまぁスカートの女性ではあるがパンチラ撮りに行ってるわけでもないんだからそんなめくじら立てるほどじゃないなと思いました。
ただメフィラスの思惑を止めるために浅見の匂いを神永がかぐシーンはこんな尺取る必要あるか?とは思いましたね。
別にそこまでしなくてもメフィラスの「そんな変態的行為」の納得性は下がらんと思うんよ。
モヤッたのはそれぐらいです。
おおむねおすすめです。
夏はポケモン、冬は呪術廻戦
仕事を辞めてから約1年が経ちました。
考えれば考えるほど一般的な労働に対する嫌悪感が強まる今日この頃ですがそう、「労働はクソ」といえば呪術廻戦ですね。
呪術廻戦、今日本に住んでいてこのタイトルを聞いたことがないという人はおおよそいないでしょう。
2021年12月24日より劇場版呪術廻戦0が公開となりましたがこれが大変美味しゅうございましてそのことを書き連ねます。
①そも呪術廻戦とは何か
ざっくり言えば人の負の感情から生まれる「呪い(妖怪みたいなもの)」を呪術師が祓う物語です。
呪術師はそれぞれの術式を持っておりそれを呪力を使って発動させることで呪いに対抗します。
呪いを持って呪いを祓う、そして呪いとは人自身から生まれ人の手で処理される。
まぁわりかし王道な能力バトルですね(かんちがいするな、王道は楽しい。何故なら王道だからね)。
しかしそこに人が人を思うことも呪いの一種であるという人間ドラマ、何故そのキャラはそう行動するべきなのだろうか?という問いかけとその命題が気持ちのいい配分で調合されていることで大変美味しい物語になっているわけです。
正しい死とは何か?これはそうか?
何故自分は人を救うのか、お前を救おうと思ったのか
こいつらを守ることに意味はあるのか、意味がないなら自分が本当に行うべきことは何か
自分の役割とは何か、失われたものの意味とは何か、何が受け継がれていくのか
キャラクターの思想によってストーリーが展開されていくのは気持ちがいい。
②呪術廻戦0とは
呪術廻戦は週刊少年ジャンプで連載を始める前に別冊で短期集中連載という形で誕生しました。
それが今呪術廻戦0となっている「東京都立呪術高等専門学校」です。
それが好評だったので本誌での連載となり、この短期集中連載はその前日譚として単行本になりました。
単行本1冊で完結しているため試しに読んでみてとも言いやすく呪術廻戦への足掛かりとしてめちゃくちゃ重宝してます(短いと勧めやすいので打ち切り漫画は勧めやすいとか今そんな話してないだろ それはそれとしてお前もシューダンを読まないか?)。
ストーリーのあらすじはざっくりと以下の通り。
主人公乙骨憂太は引っ込み思案の普通の高校一年生。
ただ一点、幼い頃結婚の約束をしたが事故で死んでしまった祈本里香に呪われていることを除けば。
祈本里香は家庭にこそ問題はあったが家系的にもどこにでもいる普通の女の子なのに有り得ない程強力な怨霊、『特級過呪怨霊』として成立してしまっている。
乙骨に手を出そうとすると里香は顕現しその相手を乙骨への愛ゆえに容赦のない攻撃を加え、乙骨の意志では止めることができない。
これを呪術連合の術師が祓うため派遣されたが全て返り討ちにあってしまい取り憑かれている対象を葬ることで祓うという乙骨の秘匿死刑が決定された。
しかし、特級術師にして呪術高専の教師五条悟はこれに反対。
「正体不明の特級過呪怨霊に対処するに際して乙骨憂太に呪術を学ばせ祓うのではなく呪いを解く」という方法を自身の下で行わせていくことを提案する。
乙骨憂太は自身の存在のため、里香のために呪術を学びこの呪いを解くことを決意する。
その後同級生のキャラたちと関わっていく中で乙骨の自己肯定感の高まり、その高まった理由に起因する乙骨憂太の戦いが描かれていくわけですがそれと同時にこの作品(呪術廻戦全体ではなくこの0におけるという意味)でのラスボスである夏油傑は五条悟と同級生であり俗に言えば闇堕ちした存在であることが明かされます。
作品における大きな対立の関係性が乙骨⇔夏油と五条⇔夏油の二本立てなわけです。
1つより2つ。面白くなるわけなんだなこれが。
(当然ですが乙骨と里香の関係も大変美味しい。純愛です。)
でここからが本題なんですけど劇場版としての呪術廻戦0はここを強化しているんです。
③劇場版呪術廻戦0の強み
当然の話ですが呪術廻戦0が漫画として描かれた当時はたった4話で終わる話だったわけで乙骨憂太を中心に描かれる以上五条悟と夏油傑の関係性の深掘りなんかしてる暇がないわけです。
しかし、この劇場版呪術廻戦0が作られる段階では世界観に対して単行本にして10冊以上の追加情報が得られています。
そう、今だったら明かされているあれこれを全部組み込んだ呪術廻戦0が作られたわけです。
五条悟と夏油傑の決別のストーリー(懐玉/玉折)を組み込んだり新宿・京都百鬼夜行ではあのキャラが活躍したのかな〜→したよを見せてきたり乙骨が黒閃をきめたり術式でけりをつけに行けない五条はどうするのかをやったり……
中でも最も大きいのが五条悟と夏油傑の青い春描写をふんだんに、しかし細心の注意をもって入れてきたことでしょう。
懐玉/玉折は原作ではアニメの1期でやった内容の直後なためまだアニメ化してない内容にまで踏み込んだ描写が織り込まれていたわけです。
これにより元々の柱である乙骨憂太の物語は損なわれないまま五条悟と夏油傑の物語としての完成度が格段に高まり結果として「愛ほど歪んだ呪いはない」「呪いを祓う」という乙骨憂太の物語の成分も補強され化学反応がビックバン、もうブチ上げ極上風味になったんですわ。
長期連載をこんな風に活かせる場面もあまりないでしょうがあまりに上手い使われ方だったため物語以外での感動まで与えてくれる劇場版呪術廻戦、真剣感謝な…!
(ジャンプアニメはだいたい本編に追いついてアニオリを入れてくるがアニオリはおおよそつまらないというのが歴史的に存在している
ワンピースもナルトもBLEACHもリボーンもみんなアニオリを入れてきた)
話題性も抜群、内容も最高、今後の展開も楽しみな呪術廻戦を劇場に見に行ってね。
シンエヴァンゲリオンを見てきました
めちゃくちゃにネタバレするんで見てない人は読まない方がいいです。
TV版と旧劇、新劇全部見ての感想なので。
シンエヴァンゲリオンを見て分かったことは「庵野監督は最初から同じことを言っていたんだ」っていうこと。
いやいやTV版の最後は難解すぎるしそれを戦闘交えてちゃんとやった旧劇も難解すぎてよくわからんかったし旧劇の最後はどう見てもシンエヴァみたいなハッピーエンドじゃねぇだろ?って思う人もいるかもしれない。
でもTV版も旧劇もシンエヴァもやりたかったことはただ一つ、「シンジの成長、それによる決着」なんですよね。
碇シンジというキャラクターは責任を負いたくない、自分が悪いっていう状況をとにかく避けたいでも自分を見て欲しい自分を認めて欲しい誰かに好きって言って欲しいっていう印象が強いと思ってました。
でもそれってきっと誰もが意識しているにしろ無意識にしろ周りに求めるものだとも思っていて、言ってしまえば普通の人間なんですよね。
特別正義感が強いヒーローでもなく、明確な意志を持って行動する強い人間でもなく、普通の人間を主人公に添えて何がしたかったのか?
その答えがTV版や旧劇では視聴者に伝わっていなかった。
何故か?それは視聴者はエヴァンゲリオンを巨大なロボに乗って戦うアニメだと思ってしまったからなんですね。(エヴァはロボじゃないんだが?とか言う奴は名誉クソリプマンの称号を授けます、感涙に咽び泣け)
それが伝わらなすぎた結果、シンエヴァのラストは皆が予告で見て期待に胸を膨らませた初号機(カシウスの槍)vs13号機(ロンギヌスの槍)の戦闘は一種の茶番、前座として表現されました。
https://m.youtube.com/watch?v=d8mf0qDD3Qg
1:09〜のシーン
このPVだけで勝利を8割確信して見に行きました
予告では全くわからなかったですがあの戦闘シーンは明確に特撮のセット(ウルトラマンとかの巨大なものが戦うやつが一番近い)で戦っていました。
ロボットアニメで視聴者から求められるものは何か?
当然かっこいい主人公がかっこいい主役機でラスボスを打ち倒すことです。
でも庵野監督がやりたかったことはそこではない。
エヴァンゲリオンには人智を超えた超生物の襲撃があり、その裏で謀略が蠢いていました。
無論これらはロボットアニメの設定としては大変見応えがあり我々を虜にしました。
しかし、新世紀エヴァンゲリオンという作品に関してロボットアニメではありえないことがあります。
ラスボスが不明瞭なことです。
渚カヲルは最後のシ者です。ですが倒した後も物語は続き、ラスボスというには不適であることが誰の目にも明らかです。
ゼーレは黒幕です。ですが彼らは計画の主導者たちではあっても人類補完計画の阻止は碇シンジの中にはなく、またゼーレとの直接関わりははっきり言って皆無です。
碇ゲンドウはシンジにとって最大の壁です。ですが人類補完計画の中にあってゲンドウとシンジは最後までまともにぶつかることはなくお互いにお互いの決着がつくだけです。
惣流アスカラングレーは最もシンジに厳しく感情をぶつけてきたキャラクターです。ですが作中での立場はヒロインの1人というのが視聴者にとって一番的確な立ち位置でありまた作品として明確な対立関係にあるとは言えません。
では新世紀エヴァンゲリオンでシンジが立ち向かうべきはなんだったのか?
自分自身です。当たり前ですね。
ではシンエヴァでそれを視聴者にわかりやすく伝えつつ、シンジが乗り越えられたんだと示すためには何が最適か?
エヴァンゲリオンに乗って父の計画を打ち倒すべく無双の活躍をすること、ではありません。
逃げてきたことを受け止め、前に進む姿勢を示すために最も必要なことはシンジが最も苦手としてきたこと、責任をとることと父と向き合うことです。
先程言ったように初号機と13号機の戦闘は茶番です。
碇ゲンドウにラスボスとしての風格を与えるためのあれこれも含めて、視聴者を納得させるためのシーンです。
しかし同時に初号機と13号機の戦闘は碇シンジが歩んできたものを写します。
「我々の決着は暴力や恐怖によるものではない」みたいなことをゲンドウが言い、シンジは「父さんと話がしたい」と戦闘をすっぱり辞めます。
1人でいることが当たり前だったのにユイと出会ったことで1人でいることに耐えられなくなってしまった、母親を失った自分の子供との向き合い方を弱さゆえに間違えてしまったという彼の中の動機がゲンドウ本人の口から語られます。
TV版、旧劇、新劇全てにおいてゲンドウはユイにまた会いたいという思い「だけ」を糧に行動、あるいは停滞してきました。
一方で自ら望んだものではなく、またその中にあった結果もやり直したいことばかりだった歩みの中でシンジは他人の思いや死などのショックを受け止めたうえでなお折れずに手を差し伸べることができる人間へと成長しました。
シンジはゲンドウよりも遥かに「大人の精神」を持っており全てに決着を付けるにはゲンドウを、父を殺すのではなくただ肩を叩いてやることでよかったのだと気付きそれを実行するだけの強さを手に入れていたのです。
TV版では自分の存在を肯定し、
旧劇では他者の存在を許容し、
新劇ではその先にある未来へ踏み出したシンジ。
それらに説得力とエンターテイメントを持たせるものがエヴァンゲリオンというストーリーと舞台設定だった、ただそれだけだったのです。
ということに俺の中ではしておくことにしたぜ。
見え方は人それぞれ。楽しいと思ったものは製作者にとっては全く想定されていなかった見え方かもしれないんだからな。
でもそれは決してじゃあダメってことにはならないんだぜ。
それでもその時そう見えてそう思ったその心は嘘じゃないんだから。
俺はエヴァンゲリオンを通して自分を肯定することで他人を許容し人の繋がりの中で生きていくことができるってメッセージを『勝手に』受け取ったんだから。
追記:
①アスカに「あんたのこと好きだったと思う。でも私の方が先に大人になっちゃった」みたいなのに「好きって言ってくれてありがとう。僕も好きだったと思う」みたいなこと返してたあれ。
新劇最初見た時はやけにシンジに対する恋愛描写が多いなーと思っててまぁ時代のウケかとか思ってたんだけどここまでシンジの成長を表してくるとは…
②庵野監督がほとんど全てのキャラに対する救いと掘り下げを用意してきたことマジでびっくりした
③エヴァンゲリオンを成立させるためにエヴァの呪いって設定でパイロットたちの年齢を固定したうえで同級生たちの成長した姿は見せるのいやーちょっと寂しいなって思ってたら最後神木隆之介に声変わりしたシンジが出てくるのはマジでやばかった
少年の終わり表現として強すぎる
④鬱病診断食らったから序盤特になんか刺さるシーンが多かった
⑤マリに「絶対迎えに行くから待ってて」って言われてそれを素直に受け止めあのシンジが人を信じて待ち続けるあれ、成長すぎる
WHITE ALBUM2 雪菜
ルート分岐のあるゲームは選択肢によって様々なエンディングを迎えるけれど基本的にどれも作者は「このお話はこれがメインなんだよ」というルートを用意している。
こと、このWHITE ALBUM2というゲームにおいてどのような終着点を迎えるべきかと言えばそれはあの日々を、あの日々に生きていた者たちで決着をつける他にないと思う。
closing chapterの雪菜ルートが他のルートと一線を画するのはその点だ。
今回はいつものようにダラダラとストーリーおさらいしながらはなるべくやめて、要点要点に絞っていく、いきたい。
あの地獄のクリスマスを終え、他のCCではそれぞれの女に逃げ込むが、この雪菜ルートではそうならない。
でも、逃げ込まないことがこのルートをより救ってくれている。
雪菜は春希を第一に、それと武也や依緒以外を全く自分の世界に入れていない(大学の知り合いに北原春希という思い人がいることを話さない、家族に春希と疎遠状態になっていることを話さない、何が違う?)。
狭く完結した世界で苦しみもがいている、まるでいつかのかずさのように、雪菜に対して春希には外の世界がある。
まず、彼をいつも一定距離から見守り続けてくれた気丈な上司が気にかけてくれる。
麻理さんは厳しい人だけどできないことを無理矢理やらせてきたりするタイプじゃない。
春希の能力を買ってるので「お前は、できるよな?」って元気付けてくれる。
次に、彼をいつも頼りいままでになかった関係で居場所を作ってくれた友人が訪ねてくれる。
千晶はいつもだらしなく春希を振り回すばかりだけれどあの3年前のメンバーにはできなかった心の癒しになっていた。
春希の想いを誰よりも深く見ていたので答え合わせのように進むべき道を、その決意を改めて感じさせてくれる。
そして、彼をいつも叱り、時に同情し誰よりも親身になってくれた後輩のいる職場に出向く。
あの日の出来事を、電話越しじゃなく直接話して、自分の今までを省みる手助けをしてくれる。
彼が元の正しい人間として振る舞えるように。
電話から始まり人と直接会い、自分から人に会いに行けるところまで回復していくのが雪菜ルート序盤の流れ。
こうして今まで積み重ねてきた彼の世界が、彼を元に戻し、そして先に進む力をくれる。
最高じゃない?天才じゃない?
雪菜たちから逃げた先ではあったけれど、それも無駄なんかじゃない。全部積み上がって自分だけじゃ届かなかったはずのものに手を伸ばせるようになってる。
真剣に雪菜に向き合うために春希にはこのclosing chapterで知り合った3人が不可欠だったんだっていうのが、いいよね。
自分だけじゃできないことも、誰かがいるからできたりする。
希望がある話だろ?好きなんだよそういうの。
ここからは雪菜と向き合うと決めた春希の快進撃が始まる。
雪菜ルートのいいところはここ!!
WHITE ALBUM2とは思えないほどに前向きに、決して絆を諦めない、必ず幸せを掴み取るっていうの強い意志がある(つまりintroductory chapterは事実上のかずさメインの浮気ルート…?)。
かずさ/今いない人 との決着をつけるのは雪菜/今いる人 との決着をつけてから。
新年早々想いを伝える電話をかける春希。
いいよね。俺もやってみたいね。そこまで想った人いないけど。
前に進む決心をした春希とは裏腹にどうしたらいいかわからなくなってしまった雪菜。
決して自分からは動けないのに離れることも絶対にしたくない。
ただ、自分を肯定してもらいこの状況から連れ出してもらって幸せになりたい、春希に。向こうの行動で。
この段階でも春希の中にはあくまで「あの3人」っていう考えがあるあたりが春希。
なんとなく、春希にとって武也とは1対1の関係で、依緒はなんというか、付随品みたいなところがある気がする。
もちろん友人だとは思ってるしあの頃を知る人として特別ではあるんだろうけれど、直接の関係はないというか、雪菜やかずさや武也が特別過ぎるんだろうなって感じる。
いつだって春希が大事な話を望むと望まないとに関係なくするのは武也だから。
春希と依緒がタイマンで話すシーンあったっけ(依緒がタイマンで話すのは雪菜など女性が主だった気がする)?
また雪菜と向き合うために楽器を再開し、その時間を作るためバイトを/麻理さんや小春と関わる時間を 無くしたところもまた「この話のヒロインが誰なのか」を明確にしていていい。
誰か1人のために時間を費やす、そういうの好き。
しかし、この雪菜ルートはclosing chapterそれぞれのヒロインが捨てられて終わるわけじゃない。
小春は彼女のルートと違い至極真っ当な生活を送っていくのでグッディーズに残りいつかの春希のように働くようになる。
千晶は春希が前向きになれたことである種の救いを得られている。
麻理さんは……ただ何もなかったことになった。いやこれちょっとあれだな。他と比べて救いはないな。
どのヒロインもそれぞれのルートの途中より全然マシな人生歩めるあたりが春希お前そういうとこやぞ(最終的にはこの雪菜ルートより全員幸せになれてるあたりも少し腹立たしい。なんなんだ春希)。
そしてこのルートはなによりも雪菜にとっての救いでなければならない。
そのための重要なピースこそが3年前にもいたけれど関わってきたのはごく最近(関わり方は千晶に近い)の柳原朋。
雪菜に激しくつっかかってくるいわゆる「嫌な女」という役なのだけれど雪菜に対して今一番必要な相手「雪菜に怯まずまっすぐぶつかってくる人」だ。
誰にも、春希はもちろん、依緒や武也にも家族にも明かせなかったこの3年間の溜まりに溜まった感情を爆発させる相手それが朋。
自分の望みを叶えようとした結果全てを壊してしまった女の子の悲しい自己犠牲の膿がようやく解放される。
乱暴されかけて、朋に/自分自身に怒って、春希に八つ当たりするシーンすごい好き。
何よりも「こうあるべきだった」が詰まってる。
幸せに寝落ちする雪菜可愛い。
音楽を使うことで毎日の繋がりを得られた春希と雪菜。
音楽という手段が既にかずさの影が見えているものの、それを含めてまるでこの3年間をあの頃からやり直しているかのような幸せな時間。
ただ雪菜が前に進めるようになるまで待ち続ける。
終わりのな〜い〜ディフェンスでもいいよ〜
君が僕を見つめ続けてくれるなら〜〜
反省して改善して行動する。これ春希の一番いいところ。
過ちは繰り返させない!
ガンダムばっかじゃねぇか。
絶対に前に進むという強い覚悟が言葉でなく心でわかるシーンが多くてね、それがいい、それがいいんじゃあないか!
軽率に体で繋がろうとする雪菜、サブコンテンツでもあったように彼女の中で春希と体で繋がったのがかずさなので体を繋げてしまえば心も繋がると思い込みたいんじゃないのかなって。
彼女なりの強硬策なんだろうけれど、ここまで立ち直った春希には通じない。
絶対に!絶対に!!!過去に打ち克って希望の未来を!!冬の終わりを!!幸せの向こう側を掴み取る!!!
そんな決意が道を切り開く…
今度はジョジョばっかりじゃねぇか……
歌から始まったあの破滅を修復するためにはもう一度歌うしかないっていうのはありがちなんだけどやっぱり燃える…
他人の事情を自分のせいだと申し訳なく思えるほどには精神を回復した雪菜だけれど、これもやっぱり春希が前を向いているから。
「歌を嫌うことで春希を嫌わないようにした、歌ってしまったら思い出す。そして嫌いになって、憎んでしまうかもしれない。」
っていうのが当時絶対に春希に見せなかった雪菜の影を表している。
かずさにお別れを言うため空港に行こうとするときも、自分を置いてかずさに抱きついたのを見たときも、飛び去った飛行機を見送るときも、雪菜は春希を憎む発言をしていない。悪いのは自分だって言い続けていた。
もうあの頃から溜まり続けていた見ないようにしていた感情たち。
全部全部歌に乗せて、影だけじゃない、全部。
もうあの頃じゃない、今を生きてる。
もうかずさは隣にいないここにいない。
辛かったけど、今だって辛いけど寂しいけど悲しいけどそれでも私たちは前を向いて進んでいる。
2人で幸せになる。全てを受け止めて先に進む。
2人は想いを重ね、体を重ね、幸せなキスをしてハッピーエンド……
究極の一発!!!完全勝利ィ!!
繋いだその手は離さないからね……
そんなこんなでついに繋がれた2人、お互いに求め合うけれどもそれと同様に自分の足で立ち上がる強さを持った2人。
数々の苦難が作り出した2人の強さ。
もう大丈夫、歩いて行ける…
そしてその年の誕生日は…たくさんの人が/あの日とは違う 、大切な人が雪菜の横にいる。
これ以上ないほどの終幕、幸せが極まってしまった……
からぁのぉ!!!!!!!!
始まりのストラスブール!!!!!!
映画風に言うと「戦いはまだ終わっていなかった……」的な。
「やつはまだ生きていた」的な。
こう書くとダメなモンスターパニック続編みたいだな。
ともかく、WHITE ALBUM2という物語はついにその終わりを迎える…(まだ3ルート+追加エピソードあるが、長いわ)
CC雪菜ルートでここまでの幸せを掴み取ってからの、coda、かずさとの再会。
もう出会うはずがなかったのに…
仕事で行った海外。
クリスマスイブを雪菜と過ごしプロポーズしようというその時に、たまたま、そこにかずさがいる。
なんで今なんだよ………
雪菜とのミサをほっぽりだし、責任感という免罪符でかずさの手当てをする春希。
お気づきだろうが、彼らの間にある同じ時間は「あの日々」しかない。
それ以外はないのだ。
正直に言うとこれを初めてやった時もうすでに心はかなり決まってたので結構耐えられた。
会えない時間が愛を育てるなんて俺は思わない。
人は関わって初めて交わっていけるんだよ。
人と関わりやすいことでそれだけ傷ついてきた友人がいるけれど、俺はやっぱり今よりもその方がいいな。
でももしそうなったらあの人と同じことを思うのだろうか。
まぁこれは本題じゃない、ただの自分のあり方の話だ。
かずさの「いつ、なんだ?」に『俺』は少し躊躇って「近いうちに申し込むつもりだ」を選べる。
何故なら、俺は4ルート分見てきたからだ。
その場にいる人たちとしか生まれるはずのない激闘を、雪菜と関わってきた時間を。
確かに、CCの雪菜は弱い女だった。
うじうじしているのに我儘で、さらにここぞという時にその両方を発動させてしまう。
でも、春希との関係決定的な逃走をしなかった。
他のヒロインのルートでは底力を見せた。
俺はね、そういうの好きなんだよ。
泣きながら前に進む、そういう強さがあってもいい。
弱さを持っていても、それを抱えたままで進めることを俺は尊重したい。
一通りやって心が決まってると一方的になってしまうな。
それとも、ブレないように自分に言い聞かせているのかな。
もっとも春希はまだブレる要素ありありで進むんですが。
日本に帰国しかずさのことを押し込めようとする春希だったがそこにまた、まただよ。
冬馬かずさ日本公演決定の知らせが / かずさがまた手の届くところに くる。
雪菜のことだけを考えていくことに(無理矢理)した春希は逆にそのことが態度に出てしまう。
白状しかずさと再開していたこと、それがストラスブールでのあの日に雪菜と会えなかった理由だったことを明かす。
当然ショックを受ける雪菜。
かずさと会いたかったと口に出るがそれが本当の望みなのか自信がない。
でもね、俺は雪菜をあまり心配してなかったんだ。
雪菜はもう一度乗り越えたんだから。
問題は春希、お前だよ。
基本的にプレイヤーが手を出せないやらかしばっかするんだからお前は。
まぁこの後すぐさま仕事の帰り道に旧冬馬宅を訪れそのままかずさとの運命的再会を果たすんですけど(そういうとこやぞほんま)。
かずさとあれこれギリギリのやり取りをしている裏で雪菜は朋と相談している、そうだそれでいいんだお前はあの頃でも、5年前でも2年前でもない今の進化したお前なんだから。
武也や依緒みたいに5年前のあれに近すぎない、でも相談できるそんな友人ができたのは本当にでかい。
極端に自分の中の席が少なくそれを増やす気がないかずさと、席は少なくても周りに広がっていける雪菜もいい対比だなって思います。
ひたすら引きずるかずさと受け止めて先に進む雪菜。
作品は対比が大事。それが巡り巡って「完成に足る、美しい紋様」になる。
雪菜と会わず、かずさの介抱をする週末。
冬馬曜子の「この子を、振ってあげて」。
状況に飲み込まれそうになりながらも雪菜との約束を守り、
自分からは連絡せず仕事としてかずさと過ごす1ヶ月を決める春希。
結果ほぼ同棲することに。
そうはならんやろ(なっとるやろがい!!)
節々に春希への依存を感じさせながら過ごしていく2人。
それでも春希は雪菜のものだと必死に自分を鎮めるかずさ。
コンサートまでの関係、あとたった1週間のもの。
その2人だけの秘密を抱え、春希には雪菜と2人の時間がまた始まり、終わっていくはずだった関係。
その最後に明かされる5年前、誰が先だったかの真実。
いや揺れまくりなんですけどね。
CC雪菜をやらせた後にいかにしてプレイヤーの心境をかずさに揺らさせるかですよここは。
ぐらんぐらんに揺れてしまう春希くんですが私はそれでも未来を見て先に進む人間の方が好きなので血塗れのボロボロで足もまともに体を支えられなくなっていながらも軽口を叩きながら相手を見据えるそんなバトル作品のキャラ心境で雪菜ルートに行くんだってやってましたね。
ついに訪れるコンサート当日。
かずさは会場の誰でもない、春希のため(もしかしたら雪菜も)だけに最高の演奏をするつもりでスタンバイしている裏で春希は耐えられなくなり雪菜に会いに行く。
かずさと偶然とはいえ2週間一緒にいたことを明かすが雪菜は既に朋の情報からそれに気付いていた。
春希の懺悔を聞き、その罪を許し、そして最後に自分のためではなく親友のかずさのために怒った。
かずさのことを途中で投げ出してきた春希に怒った。
私たちはこんなことじゃ終わらない、時間は何も解決しない。
たとえその先に自滅が待っていても、これまで何度も味わってきた苦しみがまた襲って来ようとも私たち3人の関係に決着を付けなきゃいけないと、はっきりと口にした。
『だから気に入った』
やっぱ涙を流しながら先に進む強い奴大好きなんですよね……
でも雪菜の強さは歩んできたこの5年が作った強さだからさ、そこがかずさとの差だと俺は思っちゃうんだよね。
別れ際に「わたし、今、すごく濡れてる」とか言われるとめちゃくちゃ興奮してしまう。
愚かな私を許して。
頑張って新幹線で大阪から戻ってきたが当然、間に合うわけもなくコンサートは終了している。
コンサートの結果は人伝には「失敗」だった。
技術は高いが表現力に問題あり、失速していた。
表現力こそが魅力と言われ、1日10時間練習するあの冬馬かずさがそんなはずはないとわかるのは春希だけ。
本人にも母親の曜子にも連絡が取れず必死の捜索を行う。
ようやく見つけたのは旧冬馬宅。
体の傷以上に深く抉られた心は訴えるような殴打で、自身を顧みずに春希にぶつけられた。
人の心を壊せてしまうほど深い間柄に憧れてしまうのはそうなったことがないからなんだろうなとは思う。
「あの日の学園祭のステージから、
ずっと、降りてきていなかった。」
ってほんと好き。
舞台に上がった3人、その脇から眺める2人。
その他有象無象。
何も交わっていない世界。
もう終わったはずだったのにまた始まってしまったのは、手が届くんじゃないかって思ってしまうのはCCを終えた2人だけではなくかずさにとってもだった。
もうこの瞬間だけでもいい、求めさせて欲しいと迫るかずさを押し留めつつも自分の本心を、かずさがずっと好きだったという思いを打ち明けてしまう春希。
それでも、ここは譲れない。
「あたしのこと、嫌いじゃないって言っただろ?」
「いいや…好きだって言った」
「自分のせいだって、認めたよな?」
「五年前も、去年も、一昨日も…
全部、俺が悪い」
「なら………こっち、向けよ」
「……嫌、だ」
「どうして…あたしを受け入れてくれないんだよ…っ」
「雪菜を、愛してる
雪菜を、世界で一番愛してる…
もう、裏切りたくないんだ」
ひとつの決着がついた。
嘘をつかなかった、自分にも相手にも。
でもまだ誰も幸せになれてない。
物語は、本当の決着はまだこれからだ。
怪我を負ったかずさの面倒をみる春希。
振られて、それでも一番近くで面倒をみてくる。
感情が常にぐっちゃぐちゃよそりゃ。
それでもそれなりに立ち直り、ピアノに戻っていこうとする中で、もう一つの心の拠り所である自身の母親冬馬曜子は白血病により日本に永住するつもりでいた。
追加公演後、かずさは1人海外に行くのか?母親の病気をどう伝えるのか?
全てが未知のまま開始する作戦。
春希、かずさ、曜子…
要素はぎこちない歯車のようで、本質的な終わりも見えず危なげに動いている。
どうすればかずさは幸せになれるのか?
暗雲の中、先に来てしまったのは「歯車が外れた」という話だった。
たった1人の心を許した男に振られ、たった1人の肉親でありライバルであり教師であった母親に迫る死を実感したかずさの世界にはもう何もない。
ピアノはたった1人の男と語るもの、たった1人の肉親との繋がり。
世界中のどこにも居場所がない、自分の中にも誰もいない。
きっとかずさ1人ではもうどうにもならない。
でももう春希にも曜子にもどうにもできない。
ギリギリまで頑張って
ギリギリまで踏ん張って
ピンチのピンチのピンチの連続
そんな時、欲しいものは一つだけ。
絞り出された「助けて」、最高に好き。
立ち向かうんだよ、親友のために立ち向かえるんだよ雪菜は。
「かずさの周りにだって、たくさんいるんだよ。
あなたが見ようとしないだけだよ」
世界に絶望したかずさに雪菜は自分が、春希があなたを思っていると訴える。
その人の自己評価なんか関係ない、こんな自分を好きになってくれるわけがないなんてそんな考え関係ない。
「私があなたを好き」そこから始まる5年分の喧嘩。
ここ最高なんですよね。
5年分積もりに積もった思いが爆発してる。
そのうえで絶対に自分もかずさももちろん春希も幸せになってみせるっていう決意が強い。
ハイパームテキ雪菜でしょ…
それでもお互いにお互いを「こいつには勝てない」って思ってるのも最高なんですよね…
最後の最後に救うのは好きになった人じゃなくて恋敵なのめっちゃよくないですか?
壊れてしまうとかずさが思った、広げられるはずがないと思った自分の世界。
でもそれは自分がいままで作ってきたもの。
かずさのピアノが春希に届き、そのギターが雪菜を引き寄せた。
春希がいたから母親とも和解できた。
繋がっていける、かずさにはその力がある。
誰も仲間外れにならないために、みんなで幸せになるために。
「笑おうよ、かずさ…
これでもう、わたしたちはずっと三人だよ」
ついに再始動したかずさ。
追加公演とCDの収録、どちらも期限は1週間。
「間に合うの?
そんな具体策も何もない勢いだけのやり方で…」
「…知らないのか?」
「何を?」
ここ激アツポイントですわぁ…
ここからも激アツですわぁ…
学園祭のあの頃みたいに3人で(武也のことは言うな)音楽をしてしまおうという(そしてそれをCDにして売り出す)とんでもない企画になっていく。
練習して、仕事して、ジャケットデザイン考えたりして、雑誌読んじゃったりして、新曲の歌詞がなかなかできなかったりして……
夢のような日々が続く。
現実に追いつかれないよう、置き去りにしてしまうほどの猛スピードで。
ついに追加公演の日。
ボーナストラックはまだ曲ができてない。
かずさはコンサートまでに曲を完成させ、春希と雪菜はコンサートの間に曲をマスターするスーパータイトスケジュール。
しかし、それでも希望的なのはあの日春希がいなかったことで失敗した公演とは違い今回は「その場にいなくても、お前のことを感じられる」と言い切り、最高のコンサートになると断言する(当然若干雪菜にはちょっと辛い発言)。
宣言の通り最高の演奏をして、ついに本番。
3人の演奏を前に、雪菜への感謝とあと30分で終わるこの状況への別れを口にするかずさ。
それを受け止めきれず泣き出す雪菜に対し、かずさは日本に母や雪菜、春希のいる日本に残ると悪戯っぽい笑みで言う。
その後流れるその涙は悲しみではなく…
全てが終わったあと、かずさはピアノを引いている。
部屋には2人だけ、あの文化祭の後のように。
誰かが寝てしまったあの日。
誰かが先だったあの日。
反復はなし、そんなことは許されない。
「行けよ。
雪菜のところへ…
雪菜と、二人で歩く未来へ進めよ」
一生この気持ちを抱えたまま生きていく、それでももう選んだし見出した道。
「さよなら」と、そして前回にはなかった「これから」を口にして春希と別れるかずさ。
雪の降る中、外で待っていた女の子に確定的な言葉を口にする春希。
そう、これは雪菜との物語。
クライマックスはまだこれからなんだ。
本気の、本心の雪菜との最終決戦。
強いだけじゃない、それと同じぐらい春希を疑ってしまっていたし今だけはかずさが一番って自分で言ったことも今だけじゃ済まないんじゃないかって怖くなっていた。
「かずさに寄り添う春希」それは十分すぎるほどに雪菜を苦しめていた。
それを隠して「また3人に戻れた、それをできた自分」でいられたのがかずさを置いて自分にプロポーズしにきた春希で決壊してしまった。
みんなの幸せを願いながらもかずさに嫉妬する自分がこんなにも醜い悪い子だという現実を突きつけ、それでも自分を選ぶのかと問う。
答えは一つしかなかった。
雪菜の自己分析も、自身のひいき目な評価よりも、雪菜の本気の愛がかずさに伝わったという事実が決してこの行いは自分で思っているような酷いことじゃないって信じられる。
そうして二人は心身共に一つとなり、全てが終わったかに思えたが雪菜はまだまだハイパームテキだった。
相互不干渉を貫いていた春希の母親にも手を出し本当に全てを幸せにしようとする。
大団円。
グランドフィナーレ。
勝ち取った幸せほど見ていて好きな物もない。
全てが幸せの中に閉じるルートが大好物なんだ。
雪菜ルートはまさにそれだった。
雪菜というキャラクターと共にずっと好きでいると思う。
そしてまだこのゲームはかずさcodaと浮気+不倶戴天が残ってる…
長いんだこのゲーム。
何時間遊べるんだよ。
ミニアフターは全てが終わったその先だから物語の中にないってイメージ。
この胸の痛みは本物だから
ガンプラアニメは今までに
・ガンプラビルダーズ
と作られてきた(外伝のバトローグとかは抜いて)わけだけれどどれもガンプラ話作る楽しみとかガンプラを動かせる楽しさとかに焦点が当てられてきたんだけれど今ガンダムチャンネル(https://m.youtube.com/channel/UC7wu64jFsV02bbu6UHUd7JA/channels)で配信されているガンダムビルドダイバーズリライズはその点で一線を画している。
ガンプラをスキャンしVR空間で人々との交流や自分のガンプラを使ったミッション、チーム戦やフェスティバルなど様々な楽しみ方があるGBN(ガンプラバトルネクサスオンライン)を舞台としてガンプラとそれが生み出す絆に熱中していく主人公リクと仲間たちはフォースと呼ばれるチームを作り日々のガンプラバトルやGBNの影で動くバグを意図的に作り出している存在に数々の強者たちと立ち向かっていく。
そんなフォース「ビルドダイバーズ」を中心としたガンプラの魅力を前面に押し出しつつ電子生命体との共存も盛り込みボーイミーツガール的な前作ガンダムビルドダイバーズ。
その話から2年後を舞台に始まるのが今作「ガンダムビルドダイバーズRe:RISE」。
GBNで生まれた電子生命体、ELダイバー達の数も増えたが共存はうまく行き再び平和なガンプラバトルを楽しむ空間となったGBN。
そこでどのフォースにも所属せず、傭兵のような活動を行う少年ヒロト。
ガンプラバトルを楽しむわけでもなく、その報酬を望むわけでもなく彼はただ「何かを探している」。
自分自身を実力以上に評価する目立ちたがりのカザミに実力を買われ無理矢理誰もやったことがない新ミッションがあるというエリアに連れてこられるヒロト。
ミッション初クリアの称号に興味のないヒロトはログアウトしようとするが誰も行ったことがないエリアらしいという話を聞き思い留まる。
悲鳴を聞き駆けつけると、内気な少年パルと謎のクールな少女メイそして表示されたウィンドウからは犬のような少年が助けを求めていた。
4人のダイバーとガンプラにより始まったミッション、敵を殲滅した彼らに犬のような少年フレディが言う。
「さすがビルドダイバーズのみなさんです!」
戸惑う彼らのコンソールにチーム名「BUILD DIVERS」が表示される。
何故ビルドダイバーズなのか?
このミッションは一体何なのか?
謎を抱えたまま現実世界へと戻されるヒロト。
彼自身の過去と共に多くの謎を抱えたもう一つのビルドダイバーズのミッションが開始した。
1話から謎の多い展開ながらも他とは全く違う切り口のガンプラアニメのリライズ。
特にどんな点が珍しいのかというと
①ガンプラバトルへの情熱を失った主人公
ヒロトも元はGBNにいる多くの人たちと同じようにガンプラを愛しガンプラバトルを楽しんでいた。
過去作だともともとガンダムが好きでガンプラを作っていたり、ガンダムに詳しくないがガンプラバトルの魅力にはまり好きになっていくキャラが多い。
ヒロトはそのどちらでもなく、いやそうであったキャラだ。
幼なじみのヒナタからもガンプラに情熱を注いでいた頃からの変化を心配されている。
何故ヒロトがガンプラへの情熱を失ったのか?はストーリーを通して最も大きい要素の一つになっている。
②ガンプラの楽しさを前面に出してこない
言ってしまえば販促アニメ、このおもちゃはこんなに楽しいんですよという点が推されるのが一般的。
しかし①の通り主人公は情熱を失っており、またチームのメンバーもガンプラに慣れた面々。
初心者的な「それが楽しいという気付き」=「新規顧客への共感」が全くない。
無論ガンプラが激しく戦いかっこいい。
だがそれはそういうものだからで流され「ガンプラって楽しい!」というものではない。
ある意味「普通のガンダムアニメ」に近いノリで描写されていく。
これは目標という意味でも言える。
通常のガンプラアニメは「大会での優勝」や「追いつきたい誰か」などの目標が設定されそれに向けて製作技術や操縦技術を向上させたり仲間を増やしたりして困難を乗り越えていく。
リライズは「謎のミッションに偶然集まった4人が参加しました」というだけ。
行動原理としてもチーム全体としての目標はあってもメンバーそれぞれの思惑はカザミ以外ぼんやりしている。
ヒロト→何かを探している(その何かは不明、金髪の女の子に関連するもののようではある)
カザミ→誰もクリアしてないミッションをクリアすることで名声を手に入れようとしている
パル→???(ヒロトの実力に感動しているようではある)
メイ→???(全くの謎)
チームビルドダイバーズ→ミッションをクリアする
これらから1話の時点でどうやら普通のガンプラアニメではないな?ということがわかる。
そうして見進めていくとだんだんとこの話でやりたいことがわかってくる。
カザミはヒーローは常に強くかっこよく勝つことが大事だという思い、そして自分がそうでない状態を認められない弱さがあった。
パルは飛行機事故で歩けなくなったため自由なGBNの世界であっても空を飛ぶことに恐怖を覚え、上手く操縦できないためチームの足を引っ張っていると思いつめていた。
メイはELダイバーであり、運営からの要請でGBNログイン後意識不明となったダイバーに関する調査を行なっていた。
彼らが抱える弱さや悩みをチームのメンバーや惑星エルドラの住人達との交流により突破していく成長の物語であると同時に、ヒロトが過去を乗り越える(再起する)ためのお話だった。
話が進むにつれ彼らが参加したストーリーミッションだと思っていたものは現実世界で宇宙のはるか彼方にある本物の惑星での出来事であることが明らかになる。
NPCだと思っていた惑星エルドラの住人達は実際に生きているのだ。
何故かGBNと繋がり向こうで実体を持ち動けるようになってしまっただけでありチームビルドダイバーズが助けてきて、また助けられなかった人たち全ての命の重さといつ戻れなくなってもおかしくない(メイの探している意識不明者と同じように)ことを伝えられ戸惑うヒロト、カザミ、パル。
かつてヒロトと一緒にGBNで過ごした少女。
もういない、データに消えてしまったあの子との思い出はただの記録でしかないのか?
得たものも失ったものもただの記録に過ぎない、本当にそうなのだろうか?
それでもあの子を失ったことに、あの子と交わした約束を守れなかった自分にヒロトは傷付いている。
ただの記録なんかじゃない。
過ごした時間も、感じた気持ちも全て自分を作っている。
「これからも、誰かのために頑張れるヒロトでいてね」
確かに感じたものがある。確かに無くしたものがある。
大切なものをまた失わせない、大切な約束を今度こそ守る。
「だから繰り返さない。この胸の痛みは本物だから。」
https://www.gundam.info/special-series/gundam-power-word/01_1290.html
ヒロト達は再び集まり今度はGBNのミッションをクリアするためではなく、エルドラをそこに住む命を救うため立ち向かっていく。
お気づきでしょうか。
もう完全に従来のガンプラアニメではなく実際に命をかけた作戦になっています。
実際にヒロトくんはエルドラで負った傷が現実世界でも現れているのでエルドラで腕を失えば現実でも失うし、死んでしまえばそれまでだろうことが示されています。
しかし、このアニメは外傷ではなく内面をえぐってくるのでした。
敵の親玉アルスはGBNのデータを閲覧しそこにあるヒロトの記録から自分用の機体アルスアースリィガンダムを作ります。
ヒロトの乗機コアガンダムとアースアーマーが合体したアースリィガンダムをベースに狙撃が可能な装備をつけたその機体だけでもヒロトには精神ダメージゴリゴリに与えられます。
その理由はヒロトと消えてしまった少女イヴの思い出にある。
GBNがサービス開始した当初、ヒロトはコアガンダムでログインしたが前のガンプラバトルとの差にモチベーションが下がっていた。
そこに現れたのがイヴだった。
ヒロトはイヴと出会い過ごすことでGBNでの楽しさを感じていた。
そう、それは前作ビルドダイバーズのリクとサラのように…
しかしビルドダイバーズでもあったようにELダイバーは当時のGBNにとってはバグを誘発させる存在でしかない。
イヴはサラの存在を知り自分が好きなヒロトが好きなGBNを守るため、彼女を生かすためELダイバーの影響で起きるバグを自分の中に閉じ込めていた。
いつかこの地上から太陽系を越えて宇宙の向こう側まで行ってみたい、そんな夢を語りながら笑い合ったヒロトとイヴ。
ヒロトは自分のガンダムに星の名前をつけることにし最初に作ったアーマーを地球、そして地球は3番目の惑星であることからアースリィガンダムと名付けた。
しかし幸せな日々は突然終わりを告げる。
イヴがバグを封じ込めるのにも限界がきたのだ。
「ヒロト、私を消して欲しいの」
わけもわからずただそうするしかできることがないヒロトはイヴの願い通りコアガンダムでイヴを撃ち抜く。
イヴが抱え込んでいたバグはこれにより消滅し人知れずGBNは救われた、ただヒロトの心に傷を残して。
その後程なくして運営からGBN全体へ連絡が入る。
『最近頻発しているバグの原因を発見した。
その対処のため有志連合を再結成しELダイバーの脅威を排除する。
ご覧のようにELダイバーの身柄を確保している。』
それは自分が命を奪ったイヴの妹ともいうべき存在であることはわかりながらも落ち込むヒロトはどう行動するのかを決められなかった。
そして始まる第二次有志連合戦。
サラの存在をかけたフォースビルドダイバーズ一派vs有志連合(フォースアヴァロン、フォース第七機甲師団を中心とした連合)の戦いはその圧倒的戦力差から有志連合の勝利が硬いと思われていた。
しかし戦略やビルドダイバーズ一派への増援から戦いはビルドダイバーズの主人公リクと増援vsアヴァロンのリーダーであるGBNチャンピオンに託される。
GBNを守るためELダイバーのサラを消さなければならないとする有志連合側の主張に対しビルドダイバーズは訴える。
「俺たちは諦めない」
「人やガンプラといろんなことをしてきたGBNが大好きでそこで出会えたのがサラ」
「サラと出会っていろんなことを経験してきた」
「ELダイバーは私たちのガンプラを愛する気持ちから生まれた存在だから、自分たちの好きを自分たちで否定したくない」
「俺たちは、俺たちの好きを諦めない!」
チャンピオンを倒し、満身創痍の機体でサラの元へと向かうリク。
チャンピオンがやられるという事態に有志連合はパニックし誰もカバーに回れない、アースリィガンダムで壊れた武器の代わりに狙撃用の武器を構えて待機していたヒロト以外は。
リクに照準を合わせるヒロト。
GBNが大好きでそこで出会えたのがサラ / イヴだってそうだった
サラと出会っていろんなことを経験してきた / 俺だってイヴと出会い経験してきた
自分たちの好きを自分たちで否定したくない / 俺は自分の手でイヴを撃った
俺たちは、俺たちの好きを諦めない / どうして俺にはイヴを救えなかったんだ
どうして君には救えるんだ
感情のままリクへ撃とうとしたその時、イヴの最期の言葉が浮かんだ。
「これからも、誰かのために頑張れるヒロトでいてね」
ヒロトは自分のやろうとしていることがイヴとの最期の約束さえ捨てたものだと悟り砲身を地面へ向け、その瞬間発射された。
吐き出された感情は大地をえぐり、しかし誰にもその真意が伝わることがない。
あんなに大切で、特別に思っていた人を守ることができずその最期の願いすら守れなかったことが癒えない傷になりヒロトを苦しめ続けたのだ。
話戻りますがそこに当時の装備(元になってるのはイヴと作り上げた思い出の機体でもある)を再現し「これ(重要な戦局でちゃんと標的を撃てる)が完璧なあなた」なんて言われた日には感情壊れますよ(まぁそうされたんですが)。
大切な人を守れずその最期の願いすら守れなかった自分が他人のために何かできるかなんて、俺はこんなにもどうしようも無いやつなんだと嘆くヒロト。
しかし周りのみんなは知っている。
彼が頑張ったからエルドラで救われた命があることを、彼がいたから変われた自分がいることを、彼の行いがなければ自分の存在(ELダイバー)がなかったことを。
彼女が残した思いはヒロトの行動やその結果としてこの世に残っている。
存在と無の地平線概念ですわぁ……
誰かがいなくなってもその誰かがいた証拠がこの世のどこかに残り続ける……
以上がこれまでのリライズで、5000文字も使って何が言いたかったかと言えばリライズめっちゃ面白いので是非見て欲しいってことです。
あと6話なのでフィナーレをリアタイで迎えられるチャンス。
毎週木曜夜8時更新なのでお楽しみに。
ついでに主題歌の歌詞がヒロトくんの心情に添いすぎてて辛いのと、1期のED映像があまりにヒナタちゃんなので好き